日本にいた頃、“自分探し”という言葉をよく耳にしましたが、
この言い回しにずっと馴染めずにいました。
何かすごく立派で素敵なものが、あたかも自分の中に埋もれているような、
そしてちょっと掘り起こせば自然と見つかるようなこの表現に、
とても違和感があったのです。
何かふとしたきっかけで、
潜在的な素晴しい何かが目覚めるなんて期待するのは、
ただの甘えだと思いますし、もしかしたら幻想かもしれません。
自分の中の失われてしまった感覚や感情を呼び覚ますというような
どことなくノスタルジックな自分探しのことではありません。
自分の人生をより有意義に生きようと願うのであれば、
強い意志と行動力でもって、理想とする自分自身と己の人生を
積極的に創っていく必要があると思うのです。
数年前、東京で昼夜を問わず仕事も遊びも一生懸命、
それなりに充実した毎日を送っていたある日、
ふと、自分ができる事の限界が何となく予測できるような気がしてきました。
まだ先の長い人生、何を達観した気になっていたのか、
自分で予測してしまう人生ほどつまらないものはありません。
多少無理をしてでも、自分に大きな変化が必要だと感じたのです。
もっと世界を知りたくなり、アジア横断の旅に出ましたが、
その時に気がついたことは、
自分自身の内に秘める可能性や能力などではなく、
「このままではダメだ!」という強烈な焦りであり、
「何か世に必要とされる事がしたい!」
という激しい衝動でした。
そして、ただそれを願うだけでしたら、
その内、生活や環境に流され、以前の日常に戻っていたはずです。
そこで必要なのは
「どこで何をするか?」という見極め判断と、
熱の冷めないうちに素早く行動する勇気・大胆さなのです。
僕は旅によってその行動の原動力を得たに過ぎません。
しかし「どこで何をするか?」という問いには沢山の選択肢があり、
なかなか迷うところです。
僕の場合はたまたま「中国でコーヒー事業」となったわけですが、
なぜ決断できたかというと、正直特別な理由はありません。
ただ直感的に「これだ!」と強く惹かれてしまったのと、
運やタイミングが非常に良かったからだと思います。
とにかく自分の想像の及ばない新しい環境で、
自分がどこまでできるか試してみたい、という強い想いが決め手となりました。
そして中国に来て、
全く異なる発想や行動をする異国の人たちの中で揉まれていく内に、
それまでのパターン化した思考が化学反応をおこし、
新たな気づきや発想等、自分自身を進化させていくことが可能となりました。
さらに、その連続が新しい価値を創造することに気がついたのです。
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