前回からの続き
貧しい家庭環境から立身出世をつづけ、
誰もが希望する共産党での出生道を歩もうかとしていた
王振国先生ですが、その道をあっさり捨ててしまいます。
その出来事は王振国教授が18歳の頃。
研修医として訪れた病院での1日目でした。
ガンでお母さんを亡くした12歳の少女が研修医の王先生を見つけ、
「お母さんを助けて!」と泣きながら頼み込みました。
当時は何も手立てがありませんでした。
先輩医師はこう言いました。
「彼らを見てはだめだ…。これ以上どうする事も出来ない。」
人の命を預かる責任と対峙しはじめた1日目で
当時の医学の無力さを知り、
ガンを克服することに情熱を燃やすことになったのです。
とはいえ、当時は文化大革命の時代です。
大学自体がなくなった時代、
医学を学校で学ぶ機会はありませんでした。
王先生はその後仕事をする傍ら、家に戻ると
民間伝承の漢方処方を研究集めました。
少ない財産をつぎ込み抗がん剤の開発に取り組みだしたのです。
それは、実験台のネズミを養うのに、
自分や家族の食事を減らしてネズミに差し出すほど、
ギリギリの生活だったそうです。
その後も継続的な資金難や、
大学卒でないので相手にされない等の困難にあいながら、
王先生の協力者が次々と現れ、発明を成し遂げます。
その後、
中国国家から初の漢方抗がん剤の発明者として認められ、
国家プロジェクトとしての漢方薬の研究を行う立場になり、
現在は北京、上海、珠海、通化に4つの病院を展開し、
長白山の工場で作った王先生開発の薬は
中国全土の問診所で普及しています。
ゼロから成功を築き上げたエピソードは人の心を動かすのですが、
実際に出会うともっとファンになるのです。
中国のお金持ちと言うと、政府とのコネクションをバックにして
派手に生活するイメージがありますが、
一代で大病院・大企業を築いてきた王先生は
派手や無駄を嫌い、とても謙虚な方と印象を受けます。
私は日本から王先生に診察してもらいたいという患者さんを
度々王振国病院にお連れしていますが、
中国の誰もが働きたがらない春節の2日目に北京の病院を訪れた時、
なんと朝早くから田舎から北京に飛んできて、
行列する患者さんの問診をしている王先生の姿をみかけました。
企業家として成功した後も、
一年の殆どを医師としての活動にあてているのです。
王先生は言います。
「物事の成し遂げることは、その時だけの成敗であるが、
人格形成は一生の成敗に関わることだ。
なぜなら成功は人の協力なしにはできないからだ。」と。
中国に来て、素晴らしい中国人のリーダーを知る機会に恵まれ、
とても幸運です。
中国の大企業のリーダーがどのような考え方をするのか、
どの様にして人の心を動かしているのか、
王先生の著作「ゼロからの成功」を日本語訳しながら学んでいます。
毎月一章ずつHPでも紹介しています。
2年間分ありますので是非HPをのぞいてみてください。
http://www.zessei.com/mailmagazine.asp
絶世の活動情報 : www.zessei.com
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