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237.ゼロからの成功…王振国教授のこと

先週、邱先生が
中国で出会った漢方・絶世美人化粧品とサプリに触れましたが、
その開発者は王振国教授という漢方研究家のお医者さんです。

6年前に中国に赴任した当時、
私は王振国教授のことは存じ上げませんでした。
邱先生が見込んだ商品だからきっと大丈夫、
でも…と正直半信半疑でした。
(王振国教授は日本でも講演されるほど知名度のある方ですから、
私はまったく物知らずで失礼だったのですが…。)

結果的には「邱先生」と「王振国先生」
二人の師を仰ぐことになるという幸運に恵まれたのです。

王振国先生は吉林省の貧しい農民の家庭で育ちます。
家庭の財産はニワトリ数羽だけだったといいます。
もちろん学校に行く余裕もありません。
それがどうして、ガンを薬草で治療する発明ができたか、
そして多くの人の命を預かる立場になったか。

貧しかった幼少時代、子供も重要な労働力でした。
王先生の生まれ育った吉林省には長白山という、
海抜1800~2000メートルの山頂がカルデラになった山があります。
地元の人には神聖な山として信仰の対象にもなっている山です。
山は暴風と雪にさらされる厳しい自然環境です。
しかし、綺麗な水と
山のミネラルで育つ長白山人参をはじめ、
効果の高い薬草が1300種も育ち、
中国でも有名な漢方薬草の産地です。
王先生は少年時代に薬草について学び、
市場で現金化しては家計の足しに、ある時は
勉強をするためのノートや鉛筆を自分で買ったといいます。

王先生は薬草探しの名人で収まる人物ではありませんでした。
当時の中国社会、王先生の田舎では、都会に出るには、
会計士になるか、医師になるしか手立てはありませんでした。

そこで、当時養豚場で働いていた王先生(少年)は
仕事が終わると、何か手がかりをと、
ある衛生病院に斧をもって訪ね、薪割りや洗い場の手伝いをしました。
その後、こんなに無償で努力する王少年に報いたいと、
院長は農村医師コースに推薦するのです。

こうして勤勉で才覚のある王振国少年は、
都会にでて漢方医学を学び、
製薬工場で働けば副工場長に出世してゆきます。
その後、地区等委員会書記の秘書になるなど
共産党での出生のチャンスも掴むことになります。

こうした立身出世のエピソードがたくさん詰まった
王先生の自伝「ゼロからの成功」を日本語に訳して
毎月一章ずつご紹介しています。
バックナンバーが2年分ありますので
是非HPをのぞいてみてください。
http://www.zessei.com/mailmagazine.asp

絶世の活動情報 : www.zessei.com


2012年8月3日

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