|  絶世美人化粧水の生みの親「王振国」先生。※ 絶世美人をご存知ない方へ(ホームページ参照 www.zessei.com)
 医師養成学校を卒業後、医者としての道を歩みだした(前回参照)王振国先生はあるきっかけ(*)を機にガン治療へ情熱を燃やすことになった。
 西洋医学によるガン治療に限界を感じ、小さい頃から身近に慣れ親しんできた
 「中国薬草」、「中国医療」にガン治療の活路を見出せるのではないかと
 漠然と考えるようになる。
 そこから10年以上にもわたるガン治療の研究が始まる。
 手始めに王振国先生は情報収集から取り組み始める。まずは、人民解放軍にある立派な図書館を利用するために、
 人民解放軍の衛生員になった。
 図書館には歴代皇帝のために編まれた歴史的な薬草書が豊富にあり、
 4年勤務した間に薬草や処方だけで800種類以上も集めた。
 しかし、ガン治療に有効な情報はまだまだ足りなかった。
 その後、通化市の公務員となって中国各地をまわり、その土地土地に伝わる「民間療法」や「幻の処方」についての情報を
 ひたすらに集めた。
 各地で集めた処方の種類は1200種にも上った。
 中には数里先まで激臭がすると言われる幻の処方もあったという。
 王振国先生は大量に情報を集めたあと、次に情報の真偽を確かめ、処方で使われる生薬を分析し始めた。
 自宅のスペースを使って自費で「通化長白山薬物研究所」を設立。
 公務員は休職して、生薬の分析、
 ガン治療に効果的な処方の試験と実験に明け暮れた。
 そして1983年、ようやく抗ガン薬としての自信作「天仙丸」が完成した。
 しかし、長い歳月をかけて研究開発した「天仙丸」だったが、大変な苦労が待ち構えていた。
 臨床試験を頼みに天仙丸を病院に持ち込んでも、
 「漢方薬がガンに効く訳がない」と誰も取り合わないのだった。
 ガン治療は西洋医学による治療が中心だったし、漢方薬は効能・効果の科学的根拠が証明されてないものが多かったため、
 信用されなかったのだ。
 「10年以上かけた研究が水の泡か・・・」と王振国先生は肩を落とした。。 (*)グラフ社から出版されている邱永漢先生と王振国先生の対談「ガンと闘う人のために」脅威の漢方天仙液に詳しく記述されています。
 <つづく>
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