私が勤める絶世健美では、
「絶世美人」という化粧水を販売しています。
絶世美人の生みの親である王振国先生は、
中国政府から初めて抗がん治療薬として認められた
「天仙丸」という商品を1983年に発明し、
その後改良された「天仙液」を開発して、
世界中のがん患者を治療しているガン治療の名医です。
王振国先生はその成功ばかりが注目されますが、
天仙液が認められるまでの苦労やその探究心については、
あまり語られることがないように思います。
今回は王振国先生が医者への道を進む軌跡をご紹介します。
王振国は1954年に吉林省通化市郊外の農家の家に生まれる。
家の家計は厳しく、
12羽の鶏が産む卵が唯一の現金収入だった。
当然、貧しい家だったため
子供を学校に通わせる余裕はなかったが、
王少年は長白山の麓に生息する天然薬草狩りをして、
それを街に売りに行っては、家計を助け、
小学校・中学校と勉強に励む少年だった。
その後、中学を卒業して養豚場にいったん就職するも、
薬草への興味はつきることはなく、
いつしか少年は「医者になりたい」という夢を持っていた。
貧しい境遇から医者になることは難しいことは百も承知だったが、
養豚場の少ない給料をはたいて薬草の専門書を買っては、
薬草の宝庫と呼ばれる
地元の「長白山」の薬草と調合の研究に没頭する。
そしてある転機が訪れる。
村に気管支喘息を患い苦しんでいる老人がいて、
王少年が調合した薬を老人に与えると、
2、3日で効果が現れ、
1ヶ月もすると畑仕事が出来るくらい体力を回復したのだ。
その後も、村中の人々の病気を自ら調合した薬で治していると、
「あの村に薬草に詳しく、病気を治す少年がいる」
という噂が近隣の村にまで広がった。
それが人民公社衛生学院の院長の耳にまで届いて、
院長は王少年を衛生学院に見習いで呼び寄せたのだった。
その後、通化市の医師養成学校で
中国医学と西洋医学を体系的に学ぶチャンスを得て、
王青年は水を得た魚のように薬草研究・ガン治療研究へと没頭し、
十数年後に天仙液を発明する。
天仙液の誕生秘話は、
グラフ社から出版されている邱永漢先生と王振国先生の対談
「ガンと闘う人のために」脅威の漢方天仙液
に詳しく記述されています。
王先生の成功は、
長白山に生まれたことが幸運だったこともありますが、
それ以上に、
貧しい環境をも切り開く
強烈な「探究心」を持っていたことにあると感じます。
絶世美人化粧水からは
王先生の「探究心」に身近に触れることが出来ます。
<つづく>
絶世健美の活動情報 : www.zessei.com
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