食の仕事に関わるようになったのは偶然です。
成都に来てホテル事業をやるはずが、三日でクビになって、
ふと気づくと焼肉屋をやることになっていた
ところから始まっています。
どうやったら商売がうまく行くのかを考えるうちに、
やっぱりうまいものを提供しなくちゃな、
という想いは強く持っています。
商品開発や、試食や、多店舗の視察などをするたびに、
美味いだ不味いだの判断をし、
あたかも絶対的基準があるようなフリをして判断していますが、
この”うまい”という判断は大変難しいものです。
そもそも世の中に美味いものはたくさんありまして、
すっごく美味いものから、まあまあ美味いもの、
そして、まあまあ不味いものから、
すっごく不味いものまでありとあらゆるわけです。
こうかくだけで、比較をするには、
そのトップのところとボトムのところを知っていないと、
比較したときに、
それがどこに位置するのかわからないことがわかります。
「美味いものを食べた経験だけが、
美味いものを判断する明確な基準をつくる」
というわけです。
振り返って、大学時代、ジャンキーなものや
ファーストフードや世の中で
それほど美味いと言われていないものを、
腹一杯口の中に掻き込んで満足していた私が、
美味いの不味いのやるわけですから
ちゃんちゃらおかしい訳ですが、
思えば、わたしの両親は結構美味いものを食わしてくれました。
日本バブルの崩壊後、
すっかりお金がなくなっちゃった我が実家ですが、
その前はいわゆる羽振りの良い家庭でした。
金融関係で20代で十分儲けた父が
母に渡していた一月の生活費は、
邱永漢的中富にあたる100万円だったと、
後から聞いて驚きました。
なるほど、母ちゃんの羽振りが良かったわけだ。
好きなものを買い、最高の物を食わしてくれました。
スーパーの専門店(肉屋さんとか)の上得意さんで、
いい肉が入るといの一番に
「清水さん(私の日本名ですが)最高の牛肉が入りましたよ。」
と電話がくるのです。
だから、刺身でも肉でも
なんでも(私の田舎で手に入る)最高の物を食べていました。
それは人生の長さから言えばほんの短い間だけど、
子供の頃にいいものを食わせてもらった事は大変感謝しています。
また、おじいちゃんおばあちゃんも
前回書いたように飲食をやっていた訳ですから、
食うには結構金を使ってきたようです。
美食家を名乗るわけにはいきませんが、
それを気取るぐらいはさせてもらってもいいかな?
と思っております。(笑)
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