これを聞いて弟子のわたしが大袈裟なことを書いているとか、
もしくは、うがった見方をする人であれば、
師匠を持ち上げているように捉る人があるかもしれません。
人と一回あっただけで本を一冊書くのは
そんなに簡単なことではないのですが、
もちろん、いくつかの条件があります。
1つは、自分が自分の見方に凝り固まってないか。
水がいっぱいに入った容器にはもう水が入らないように、
自分の考えでいっぱいな頭には新しい知識も入りません。
まずは、自分に受け入れ態勢ができているか。
もう1つは、いいアンテナをもっているかどうかです。
1つ1つの話の中に“何か”を感じ取れる感度があるかどうか。
最後に、旺盛な想像力があるかどうかです。
1を聞いて10を知るように、
次々の頭の中で連鎖反応をおこせるかどうか。
私は、お師匠と接する時間が決して多い方ではありません。
少し計算してみると・・・、
1)先生が成都にこられる時間
・およそ2~3ヶ月に一回成都にいらっしゃいます
(平均2.5ヶ月に1回)
・一回の滞在が3日程度です
・食事や話をする等で接している時間が
1日あたり約5時間平均です。
⇒従って、成都で先生と接する時間の合計は、72時間です。
2)成都以外でお会いする時間
・成都以外でお会いすることが年間5回ほど
・その際は、1回あたり2時間平均
⇒10時間
合計は82時間ですから、思ったよりは少なくないかもしれません。
さて、本題に戻ると、こうした中で
毎回たくさんのインスピレーションをいただくわけですが、
自分の感度が高まっている時であれば、
話しを聞くだけで
どんどん湧き水のように頭に何かが生まれてきます。
これから、数回の内容は、
先日エープリルフールにほんの45分ほどお会いしたときに
私が感じたことを書いてみたいと思います。
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