お師匠には遠く及びませんが、
私もちょくちょく移動をしております。
ここ数日は、成都を出発して、郑洲を経由して長春に行きました。
そこに16時間ほど滞在したあとに、北京で12時間ほど滞在し、
いま東京に向かう飛行機の中です。
飛行機の窓の外に見える青い空と白い雲を眺めながら
ふと先日ある人から聞かれた質問を思い出しました。
「きむさんにとって、国境とはなんですか?」
私は、こんな風に答えました。
「もうすぐ国境がなくなろうとするのに、
その国境について考えるのはへんな話しですけど。
私は国境というのは、
時代と人が勝手に作った空想物だと思っています。
例えば私は、8歳ぐらいのときに親父に
『のぶゆき、お前は日本人じゃないんだ。』
と言われて子供ながらに大きなショックを受けて以来、
日本人か韓国人かという区別を思春期まで考えてきました。
思い起こせば子供の頃は岡崎というふるさとの
小さな街と名古屋を比べて劣等感をもった時期もあったし、
周りをみれば関東と関西という違いにこだわっている人もいるし、
その線引きというのはほんとに人様々なんですね。
一昔前は、土佐藩と薩摩藩とかね。
そうやって、
ひとそれぞれ異なる線引きの基準を突き詰めて考えていくと、
最後は、『自己と他己』になっていくんです。
だから、僕はいつの頃からかひとが頭の中でつくった属性
(その代表選手が国境とか国籍)というやつに
こだわるのを辞めようと決めたんです。
僕は国に対する帰属意識が薄い方で、
国境ということにあんまり意味を見出してないんです。」
長くなりましたが、そんな風に考えているので、
ここ数日の移動も苦にせず、
普段まちの中で道を歩くように空港をあるき、
バスに乗るように飛行機に乗り、こうして移動しています。
世界観は自分の思考が決めるんですね。
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