トップページ > 成功の都「成都」からの便り > バックナンバー

   毎週月曜日更新

199.お師匠がいることは素晴らしい

若くしても“成功”は可能だが、若くしての“成熟”は難しい

最近ふと思ったことです。
邱永漢先生のコラムをよく読んでいるみなさんですから
ご存知と思いますが、
先生はだいたい1〜2か月のサイクルで成都にもいらっしゃいます。
すると、多くのことに気づかされます。

先日も年越しお正月を成都ですごされた際、
我々グループの人間総勢10名程で食事に行きました。

そこは、英語名では「Yu’sキッチン」といい、
アメリカのニューヨークタイムズで記者に
「これまで食べた四川料理で最もおいしい。」
と高い評価をうけた店でもありました。

黒にんにくからはじまった前菜は、
13種類の小皿に美しく盛られた四川の素材を使い、
辛いものの中に、日本のおだしを上手に使った料理がまざり、
先生の奥様にして
「日本の懐石の手法をよく勉強してますね。」と評価を受けるほど、
それぞれがなかなかのレベルでまとまったものでした。

みんなが顔を見合わせ、おいしいねと話し
食事も最後の方に差し掛かると、突然、先生が
「前半まではよかったが、
後半に似たような味のものが多すぎるね。」とつぶやかれました。

ふっと思い返すと、日本人の客を意識しすぎたのか
確かにお出し系の料理が何品か続いていたり、
茶わん蒸しを出すタイミングが「ここか?」
と思われることがありました。

そんなことを考えながらしみじみ
「ああ、お師匠がいるというのはありがたいな。」と思ったのです。

よく“食は3代”といいますが、
金を儲けるのは
頭と器量と度胸と運がよければ1代でも可能でしょうが、
食は小さいころからおいしいものを食べたり、
もしくは大人になってからでも相当研究をしたりしなければ、
本当の意味での「食文化」を理解することは難しいと思うのです。

そういった3代にも渡るような見方、深さを横で体験できるのは、
お師匠の存在だと思うのです。
経済的な成功でふんぞり返る人生でなく、
たくさんを吸収できるまっさらな心の状態を保ち、
よく見る、よく聞く、よく考える、よく知ることで
人として成熟できることを意識させられた年明けでした。

「ああ、有り難い。」


2011年1月24日(月)

<<前へ  次へ>>