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163. 人に「頭がいいですね」といわれたら負け

最近、「客家18の家訓」というような本を読みました。
客家というのは、簡単に言うとアジア版のユダヤ人と呼ばれ、
中国内でも様々な歴史的差別待遇をうけたことで、
定住の地を持たずどこに行っても“客(=よそ者)“と呼ばれた
歴史的経緯のある人々のことを言います。
いまアジア中で活躍している華僑はこの客家が中心です。

その本には・・・

「ほんとうに頭がいいこと」と
「人に頭がいいと思われること」はまったく違うことである。
歴史上あらゆる悪事は「頭がいい人」が考え付いたことが多く、
その意味でも人は「頭がいい人」に対し
本能的に警戒心を抱いてしまうものだよ。
そもそも頭がいいと人に思われて
得をすることなど対してないものなのだよ。

というような内容がありました。

私はこの本のこの部分を少なくとも5回は読み直しました。

恥ずかしながら私はこれまで
人に頭がいいといわれるように
意識してきたようなところがあります。
それは、特に、前職であるコンサルティング業をしていたときに
顕著に現れていたように思います。

コンサルタントはいつも
「お客さんに対するバリュー」ということを意識しています。
それで、若手のコンサルタントは
ついつい頭がいいと思われることが
バリュー感を確保する安全策だと考えるのです。

簡単に言うと、
お客さんにすごいと思われなければいけない仕事だと
考えてきたわけです。
これは本質的には間違いではないですが、
言葉づらだけを捕らえてしまっては、形だけで終わってしまいます。

だから私は、眼鏡に注意したりスーツに注意したりと
いろいろと小さな工夫をし、
クライアントの前では常に緊張感をもって
自分の言動に注意をしていました。

実際そうすることで
クライアントは安心してくれる側面もありました。

今は、中国で事業をやっています。
頭がいいと思われることに確かに損はないですが、
やっぱり頭がいいと相手に思わせようとする人間は、
相手を不必要に構えさせるもののようです。

「こいつは頭がいいから気をつけろ」
というメッセージが聞こえてくるのです。

馬鹿に見える必要はありません。
しかしながら、人に頭がいいと思われる必要はないのです。
結果として、さりげなく成果が上がっていればいいわけですから。

私にとっては大きな気づきでした。


2010年5月10日(月)

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