先日上海に出張に行きました。
そこで道を走るフェラーリを見ました。
実は私、昔フェラーリを買いたかったんですが、
今回見たフェラーリがひどくかっこ悪く見えたんです。
自分の中で、フェラーリという美しい車に対する情熱に
ものすごいトーンダウンを感じたのです。
なぜか?考えてみました。
答えは、「苦労したお金」にありました。
このセリフは、前回私が北京にいる邱先生を訪ねていった時、
先生がぼそっといったセリフです。
その日、我々は北京に出来た新しいモールを見に行っていました。
かなり巨大なモールのすみからすみまで見学し、
車に戻ろうとした瞬間、先生が
「無駄な金をこんなに使って。
苦労した金じゃないから、こんな風に無駄に使えるんだ。」
とつぶやかれました。
この苦労した金という言葉がとても心にささり
私は忘れることができません。
ことあるごとに思い出すのです。
フェラーリを見たとき、
なぜあんなに美しい車がむしろ滑稽見えたかは、
やはりその車が
苦労した金で買われたものでなかったからでしょう。
これは、高い車を持つものに対する妬みではなく、
中国に住んでいるとたびたび感じる不快感のことを言っています。
中国でお金持ちになっている人の8割は
利権がらみだと言われています。
本当に、脳みそに汗をかいて金持ちになったのは、
1割いればいいほうでしょう。
そして、簡単稼がれたお金は簡単に使われていきます。
しかしそこには、汗に対する対価としての報酬がもつ
一種の美学や美しさがないのです。
人生に意味を与えるのは、自分の考え方しかありません。
私は、苦労した金を積み上げて
満足のいく金の使い方をしたいなと、
つくづく思います。
それが、
「金は稼いで半製品、つかってはじめて完成品」の美学です。
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