人財を育成することについて、
数回に分けて私の経験をおりまぜながら書きましたが、
その最終回として、もうひとつ私が学んだことをご紹介します。
それは、まだ私が邱永漢グループに入校(!?)する前の話でした。
このコラムの最初のほうでご紹介したとおり、
私は邱先生と旅行をしている途中で成都にくることを決めたのでした。
2005年3月2日。
私は、成都から北京に向かうため、
先生と成都のボスである王さんとともに、ベンツの助手席に座っていました。
まだ、入校前の私はお客さんとしてそこに座っていました。
王さんが「金さん、いつ成都に来ますか?」という質問を私にすると、
私はすでに昨晩考えていた日付で「6月5日に成都に来ます。」と答えました。
それを聞いた王さんは私の早い決断を嬉しそうに邱先生と話していました。
その後数分間は台湾語の会話だったので
私には何を話しているかさっぱり分かりませんでした。
すると突然邱先生が、
「あのね、王さんがね、君が成都に来ることをとても楽しみにしているそうだよ。
きっといい仕事ができるだろうと。
同時に君の強い独立心を見て、少しやって成功したら
すぐに自分で独立するかも知れないねとも言っているの。
でもね、私はそれでもいいと言ったんですよ。」
とそこまで、聞いて少し驚きました。
なにせ、まだ入ってもいないうちから、私がやめたときの話をしているのですから。
「君が成都に来て、事業に成功して止めていくのであればそれはそれでいいんです。
私はそれにはこだわりませんから。」
やめるも何もまだ入ってないじゃないかと少し困惑しましたが、
このことを最近ふと思い出し、少し思うところがあるのです。
これまで私の会社でも多くの人間が辞めていきました。
それはそれは、数人というレベルでない多くの人間がやめていきました。
そのたびにショックを受けたり、
優秀な人財の流失の際には大きな不安に襲われたりもしました。
しかし、結局こういうことなんです。
・ 「やめない人間はいない。」と考えるほうが正しい
→そもそもある人がその会社で一生を終えることはほとんどないはずです
・ やめることを前提に組織づくりをするほうが健全である
→止めて困るような管理をしない。止めることを前提に仕組みはつくる
・ 会社の立場でなく、従業員個人の立場から人生やキャリヤを考えてやる
→無理に会社に引き止めてあまり意味はない。
それよりも、その人の人生を真摯に一生懸命考えてやるほうが意味がある。
最近もひとり従業員がやめました。
確かにやめられたら困るような人財でした。
でも、彼が「やめようと思います。」といってきた時に、
私は
「君がやめるというならおそらくちゃんと考えてのことだろうから反対はしないよ。
でなぜやめるの。」
と聞きました。
会社の立場からでなく彼個人の立場から話しを聞いてみると私は賛成でした。
人財の流動に対してこういうゆったりとした気持ちを持てることは
とても大切だと思います。
このことを私が思ったのは、3年前のあのベンツの中での会話があったからです。
じわりじわりと体に染みてくる体験や言葉もあるのですね。
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