| 東京に戻り次の日に会社を辞めることを告げました。まったく仕事のできなかった私に3年間の時間をほとんどトレーニングとして与え、
 5年間も使ってくれた会社には、ただただ感謝するのみです。
 今でも、この会社の人々のことを思うと、涙がにじむくらい感謝しています。
 東京の事務所で先生に次に会うと「もう会社やめちゃったの?」と聞かれ、これからのことについて指示をいただきました。
 中でも、
 「僕は君に給料をあげるつもりは一切ない。
 君は事業家として歩む道を選んだのだから、
 事業家としての収入は自分が事業から上げた利益からとるものです。
 ただし、何にもないと水を飲むしかなくなりますので、
 住むところと生活を最低保証するだけのお金は用意してあげます。」
 とおっしゃられたことはしっかりと心に刻みました。
 その最低保証とは、ちょうど当時の私の年収の10分の1でしたが、望むところでした。当時私はいわゆる横文字系の会社で、世の中で言う"いい給料"をもらっていました。
 加えて妻もいわゆる安定した待遇のいい日本企業に勤めていましたので、
 資産こそないにしろ、お金には困っていませんでした。
 お金にさして困らない生活をしてみて思ったのが、
 「人間は、ある程度の収入レベルに達すると、
 その後はいくらお金が増えても幸福度は増さないんだな。」という実感でした。
 誤解のないように説明すると、
 当時の私は別にお金持ちではありませんでしたが、
 欲しい物は一通りそろい、年に数回の海外旅行にもいけるという生活でした。
 でも、こころに隙間風を感じていたのは、自分を最高に燃えさせる場所を探していたからだと思います。
 私の好きな言葉の1つを記して今回を終えます。 「向こう側に見える山に辿りつくには、一度今いる山を降り谷間を渡らなければならない。」 |