次の日、昼食を終えた後の午後2時ぐらいに、宿泊地であるシェラトンに戻りました。
先生と同じエレベーターで部屋に戻る際、
「先生この後少しお時間をいただけませんか。」
の一言を言い出すタイミングがなく、自分の中で勝手に緊張感が高くなっていました。
先生がエレベーターをおり、
「じゃ、僕は少し仕事をしますから。」とおっしゃられた直後、
「先生少しお時間をいただけませんか。」とやっと伝えました。
「いいですよ。」の言葉に続き、先生の部屋に入り、
二人きりの空間の空気の堅さに少し戸惑いながら、
先生は「どうしました。」と切り出されました。
「成都をいろいろ見ましたが、この地でやりたいと思います。やらせていただけませんか。」
と単刀直入に伝えました。
先生は、
「やるの?…苦労するよ。」
「でもね、邱永漢学校は変わった学校なんです。
普通の学校は、学生が自分で学費を支払って学ぶところですが、
うちの学校は先生である私が君たち学生に学費を用意してあげて学ぶ場所なんです・・・。」
続けて、
「もし僕らと一緒に仕事するならね、今から言う3つのことを覚えておきなさい。
まず、周りの人間とよく相談すること。
次に、よく教えてもらうこと。
そして、素早く動くこと。
この3つに気をつけながら、目上の人に可愛がられなさい。」
とおっしゃられると、「さあ、僕は書くものがあるからもう行きなさい。」と言われました。
その日の夜、部屋に独りになると、デスクに座り心を落ち着けてから妻に電話をかけました。
「俺、もう決めたからね。今日、邱先生に話したから。だから、これから中国だから。」
と伝えると妻は一言「わかりました。」と答えました。
次の日成都を発ち北京に向かう飛行機の中で、
この3日間で起きた出来事を自分なりにかみ締めていました。
その飛行機の中で書いたメモを久しぶりに見るとそこには次のように書かれていました。
「やっとここまで来られた。出発地点に立つことができた。
そしてやっと出会うことができた。」と。
幸い窓際の席で隣の人に気づかれずに済みましたが、
もし見られていたら
「成都から離れるだけの飛行機で何を泣いているんだろうこいつは」
と思われるに違いありませんでした。
このときのことを、先生はコラムに書かれ、
「私はちょっと交通整理をしただけです。」
となんとも先生らしい表現だったのが印象的でした。
(参考)第1859回「私に会う時はその人の運命の曲り角です」
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