第1457回
民主を求める中国人と独裁を求める日本人
民主主義初心者国家・中国が示唆する
民主主義の未来形「ネット民主主義」。
今のインターネット技術を以ってすれば、
セキュリティー面や運用面での問題をクリアして、
インターネットを使って各政策に対しての
全有権者による国民投票を行うことは、
技術的には既に可能になっているのではないかと思います。
しかし、伝統的民主主義国家である日本やアメリカで、
そういった動きが全く起こらないのは、
国会議員の保身、という面もありますが、
国民の側にも「誰かに任せて、
外野で文句を言っている方がラクだ」
という気持ちがあるのではないかと思います。
「ネット民主主義」は全ての政策に
全国民の民意を反映させることができる、
という点で究極の民主主義の形とも言えますが、
一方で、それが実現した場合、
国民は全ての法案を読み、それを理解し、
それに対する自分の意見をまとめなければなりません。
それが国の法律だけではなく、
都道府県、市町村の条例についても
同じことをしなければならないとなると、
国民の負担は大変なものになります。
それよりも、数年に一度の選挙にも投票に行かないで、
誰か他の人が決めた為政者に対して、
「民主党は期待はずれだったな」とか、
「首相が毎年変わるなんて、日本の政治はダメだな」などと、
「民主主義」であるにも関わらず、
お客さんのような批判をしている方がずっとラクなのです。
今、中国の国民は新しい民主主義の形を模索しています。
しかし、その過程では独裁政権による弾圧で、
たくさんの血が流されてきました。
中国の人たちは今、ものすごい苦労をして民主を求め、
民主を勝ち取ろうと努力しているのです。
一方の隣国、民主主義国家・日本では、
人々は逆に、自分たちの生活を奇跡的に良くしてくれる
「独裁者」の出現を待望しているように見えます。
それは昨年11月の大阪市長選挙で
圧勝した橋下市長が「独裁」という言葉を使っても、
国民にほとんどアレルギー反応がなかったどころか、
同氏が「独裁的な」リーダーシップで、
大阪から日本を変えてくれるのではないか、
という期待が高まっていることからもわかります。
ちょっと考えれば、
そんな魔法のようなことは起こるわけがないのですが、
国民は政治に過度の期待をし、
自分の生活を劇的に良くしてくれそうな
「独裁者」に政治を任せ、
それでも自分の生活がいつまで経っても良くならないと
「期待はずれだった」として、
次の英雄的な「独裁者」の出現を待望するのです。
小泉元首相の人気、民主党の政権交代、
毎年変わる日本の首相、そして橋下市長の圧勝という
過去10年間の日本の政治は、
全て英雄的な「独裁者」の出現を待望する
日本国民の気持ちを
反映しているのではないかと思います。
日本国民は
英雄的な「独裁者」の出現を待望するのではなく、
民主主義国家に生まれた幸せと責任を
もう一度見直すべき時期に来ているのではないか。
独裁国家で大変な苦労をして
民主を求める人たちを見ている私は、
そう思うのです。
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