第394回
稲門の「海亀」たち
「北京稲門会」の「海亀」たちは、
実に様々な業界で活躍しています。
しかし、卒業年次毎に現在の仕事を見ていくと、
大きく分けて3つのグループに分ける事ができます。
まずは、1980年代以前に卒業した「海亀」たち。
彼らの就職先は、政府機関や国有企業が多くなっています。
当時は、日本への留学も政府主導で行われ、
「海亀」たちは帰国すると、
元いた政府機関や国有企業に戻り、
日本で学んだ知識や日本語を生かして、
日本と関係のある仕事をしたものと思われます。
次に、1990年代に卒業した「海亀」たち。
彼らの職業は、弁護士が圧倒的に多いです。
1990年代は、中国が法治国家としての道を歩み出すと同時に、
日本企業の中国進出も盛んになってきた時代です。
彼らは、法治国家としては先進国である日本で法律を学び、
中国に帰国後は「日本語が話せる中国人弁護士」という事で、
北京に進出した日本企業の顧問をしたり、
訴訟を担当したりしています。
中国では中国人の弁護士しか
訴訟をする事が許されていません。
日本の弁護士事務所も北京に事務所を作って、
日本人弁護士を派遣していますが、
訴訟まで行くと、中国人弁護士に頼らざるを得ません。
そういった意味で、
「日本語が話せる中国人弁護士」という存在は、
中国に進出している日本企業にとっては、
非常に頼もしい存在なのです。
そして、2000年以降に卒業した「海亀」たち。
彼らの多くは、中国に帰ってきて起業し、
会社を経営しています。
職種は、コンサルタント、IT関係、
教育関係、出版関係などなど、多種多彩ですが、
共通しているのは、留学経験を生かし、
日本と関わりのある仕事をしている、という点です。
彼らの会社はいずれも設立して何年も経っていませんので、
まだ零細個人企業の域を出ていませんが、
もしかすると5年後、10年後には、
この中から、中国の将来を背負って立つ、
超優良企業が生まれているかもしれません。
このように稲門の「海亀」たちの帰国後の職業は、
それぞれの時代を反映しています。
その時代時代で、最も有利と思われる方向に進んでいく
「海亀」たちの嗅覚、行動力は、
私たちも見習うべきなのではないでしょうか。
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