第5回
カフェビジネスって何なの その1
最後の相談相手、それは妻

25才の時、小さな焙煎業者、ドトールコーヒー
(ドトールはポルトガル語で、博士、
大学を出た人、成功者の意味です)に入りました。
社長の名前は鳥羽博道(とばひろみち)さんでした。
この方は私の第三の恩人です。
第二の方はいづれ劇的な紹介が待っています。
喫茶店、レストランに勤めた私にひとつの転機が来ました。
結婚と転職のさそいです。

独立をする上でも、転職をする上でも
最高で最大の理解者が必要です。
それは家族、なかんづく妻の存在です。
フルーツパーラーを開業するチャンスも三回ありました。
今でも高田馬場の駅前の物件を
紹介された時の事を思い出して心がゆれます。
手持ちの資金はありません。
全て親がかりの金と多額の借金をする勇気は、
当時の私にはありませんでした。
きれいで楽で好きな事が出来る喫茶店はこの世に存在しない。
その喜びを感受するのはお客様、
私たちはそれを創る俳優であり、
照明係でなければならないと云う考え方に
変っていったからです。

そして何よりも私の不安は身体と調理技術の未熟さと
コーヒーについて実は何も知らないと云う現実でした。
こうした内で私は結婚をしました。
レストラン勤務時代の先輩の友人が
シンガポールの33階建ての大きなホテルのグランドマネージャー
(総支配人)に就任することになり、
私を料飲部門の責任者に推薦してくれました。
妻とも話しこの話をお受けしようとした時、
再び病に倒れました。「腎臓結石」と云うやっかいな病気です。
医者は手術するか、自然に落ちるか50%:50%と云います。
突然の痛みが来る為、仕事もやめました。
25才、結婚半年目の事です。

ぶらぶらしている訳にもいかず、
勝手にコーヒー豆を仕入れていたドトールコーヒーの
営業の方にアルバイトの紹介をお願いに行きました。
そのとき、また運命はドラスチックに動いたのです。
「営業事務」で社員で採用されたのです。
コーヒーの知識や技術をもっと勉強できる。
しかし本当は「健康保険」に入れる方が
喜びは大きかったのです。
半病人の私を採用してくれたのです。
感謝あるのみです。


『店は劇場、演ずるのは感動と云うストーリー、
店主はプロデューサーと監督、スタッフは役者』


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