第4回
私自身のプロフィール その3
忘れてはいけない三人の恩人・その2

始めて売るための商品150円×25人前=3750円
私の1ヶ月の給料1万5千円の一週間の金額です。
青ざめる私に鈴木チーフはこう云ったのです。
「コーヒーのコクと甘味が足りない。
その原因は、コーヒーの粉に抽出のムラがあり
苦みになってしまった。
もっと家でやかんの口から均一な太さになる様
注ぐ技術を身につけて下さい」
1才年下の鈴木さん、帰り道では「永嶋さん」と呼んでくれる人。
新橋で今でも多くのカフェを開業する人の為の学校があります。
その一期生が鈴木チーフだったのです。
この方のこの一言がなかったら今の私はありません、
このとき私の心の内で「一生の仕事にする」と決意しました。

人生はミステリー列車の様だと前頁で云いましたが、
そのミステリー列車は決して無人列車ではありません。
人という字は/と\がよりかかる事で出来ています。
どちらか一方が身勝手に起こしてしまったら
二人とも倒れてしまいます。
鈴木チーフは私のミステリー列車にきちんとした時刻表と
表定速度を決めてくれた恩人です。

家で練習したのはドラムのスティックで
電話帳をたたいた以来です。
やかんを買い水で何度も何度も練習した成果は
少しづつ実を結んで来ました。
一袋10回分のコーヒーは同じ日に焙煎されたコーヒーです。
メーカーは当時毎日届けてくれました。
この製造日が同一のものでも抽出方法がうまくいかないと
味が違ってしまいます。
私たちの現場に「ムラ」は許されません。
もし昨日と今日の味が違っていたら
メーカーの生豆(なままめ)や焙煎方法に問題があるはずです。
当時150円のコーヒーは今日の1000円に相当しました。
いくら美人がニコやかに立っていても、
それだけでは決して繁盛しません。
鈴木チーフが来てからこの店は
コーヒーが美味しいと云う評判が立ち、
コーヒーが目当てのお客様が増えてきました。


『無理を多少しなければ独立をしても成功しない、
無駄は一回やらなければ何が無駄かわからない。
ムラが成功しない最大の敵である。』


←前回記事へ 2003年2月27日(木) 次回記事へ→
過去記事へ
ホーム
最新記事へ