第99回
組織ケーエイ学35:経験におごるべからず。

わが家には3人の子どもがある。いまでは3人もいると「なんとか者の子だくさん」の典型例のように見える。3人めが生まれると知ったとき、さすがに「うへっ」と思い、育てられるのかどうか、かなり心配した。しかし生まれてみると、「子どもは多い方が勝ちだ」みたいな感じで、満足している。

子どものない人は、どこか人間として寂しいものがあると、兼好法師も言ったけれども、たしかに子どもが生まれると、それまでとは全く違ったものの考え方をするようになる。子どもから親が学ぶことはとても多い。
しかし正直なところ、3人子どもがあっても、子どもが1人の場合とくらべて、3倍子育てを知っているか、と問われたら、これは全然NOである。

最初の子どもは、とにかく何をしても感動をもたらす。初めて立った、歩いた、しゃべった。なにもかもが初めての経験であり、とても新鮮で、印象がつよい。その点、後の子はかわいそうで、立っても歩いても、「ああ、この頃になればできて当然」と片づけられてしまう。
写真の数が、てきめんだ。初めての子を100とすれば、2番目の子は50くらい、3番目の子にいたっては、20くらいしかシャッターを押さなくなる。

愛情が減っているわけではないと思うが、新鮮さと驚きが減っていることはたしかである。数字でいえば、0と1との間は、100くらい違うが、1と3との間は、0.3くらいしか違わない感じだ。
このことは、たぶん恋愛にも、同じことがいえるだろう。多くの恋愛経験を誇るタレントなどを見ると、ぎゃくに哀れさを感じる。むしろ恋愛からなにも学ばなかった証拠に見える。

さて、たとえ話が長かったけれど、言いたいことはこうだ。
新鮮さと驚きのないところには、発見も学びもない。経験は、とても大切なもので、経験するとしないとでは大違いだ。けれども、経験の数は、ぜんぜん問題ではない。
むしろ経験が多ければ多いほど、それだけ感性がにぶくなってしまう。
そうしてみると、最初の経験がもっとも重要だ。最初の経験に、できるだけ集中して、発見を多くし印象を高めておけば、この道20年30年のベテランにだって勝てる。経験が少ないことを恐れることはまったくない。


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