第61回
カネカネカネのケーエイ学10: 業界のせい、自分のせい

広告やデザインの業界では、お金の話をせずに仕事が進んでしまうことがしばしばあると前回書いた。これはSOHOの個人クリエーターのみならず、法人でも同じである。
数百万円の仕事になっても、契約書をつくることがまずない。せめて金額が500万円を越えたら、なんらかの契約書はつくるべきじゃないかと思うが、いかがなもんだろうか?

はじめ、これは業界全体の問題だと思っていた。これまで、必要な慣行をつくってこなかった先輩たちか、あるいは業界をリードする大手代理店のやり方が、あまりビジネスライクでなく、情緒的な関係に終始していたのではないか?
それで、こういうことは業界できちんとルールをつくるべきだ、と考えたりもした。
あるいは、法律をつくって、弱者を保護するべきだ、と。

しかし現在では、そのような考え方はチガっていたかな、と思っている。
社会に慣行がないとかなんとか、全然どうでもいい話であって、業界にルールがないならば、自分自身にルールを作ればいいだけのことだ、と考えるようになった。

つまり、この社会の経済は、基本的に自由なのである。
上下関係に縛られる親分子分の慣行であっても、またもっとビジネスライクで互いに対等な契約の関係であっても、要は当事者が納得してやっている限り、それでいいということだ。必要なのはむしろ、自分のビジネスをどうするかという基本原則であり、自律の意志だ。

契約書がないことが不満ならば、契約書を交わすようにもっていけばよい。大手代理店でそのフォーマットをもっていないならば、自分でそのフォーマットをつくって提示するほかない。しかし契約書がなくても、条件を明確にして、なるべくきちんとしたプロセスにのせて仕事を進めることは、やり方しだいである程度は可能だ。
適切な時期に提出される見積り書、そこに諸条件を明記しておくこともそのひとつ。わが社では、著作権についても合意書フォーマットをつくって、撮影の際などには、モデルやカメラマンのサインをもらっている。

自分でやるべきことをやらずに、業界のせいにしたり法律のせいにするのはどうかと、いっかい自分に言い聞かせたわけである。


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