第920回
「地獄を見なければ浮かび上がれない」
香港での邱さんの活動の足跡を
探訪するツアーの続きです。
邱さんが活動した跡を訪ねてみて、
私の脳裏に浮かぶのは邱さんが
「地獄」から浮かび上がってきた人だという思いです。
そう思うと、
「地獄を見なければ浮かび上がれない」
というエッセイがあったことに思い当たります。
そのエッセイは、
昭和60年のときに出版した
『途中下車でも生きられる』という著作に
収録されています。
旅を終えからのことですが、
本棚からその本を取り出し、
お目当ての作品に目を通すと、やっぱり、
香港に亡命した頃のことに言及されていました。
その箇所を抜粋させていただきます。
「香港に流れていって、商売をやるにあたっては、
学歴を活用する余地はまったくなかったし、
香港で結婚した時も、妻は
私がどんな大学を出たかも知らなかった。
私が辿ったコースは、
ほとんど学校らしい学校を出ていなくても、
そのための努力さえすれば、
ほかの人にも可能なコースであろう。
ただし、若い時に
(というのは、ある程度の年齢に達すると、
ショックを受けたとたんに挫折して、
ハネ返すだけの気力を失ってしまうことが多いから)、
早くからもまれたり、打たれたり、
ころんだりする必要がある。
俗に『地獄を見る』というが、
反発するだけの活力のある間に、
地獄を見ておかないと、
地獄から浮かび上がるチャンスは
なかなかつかめないのである。
そういう意味では、
豊かな世の中になればなるほど、
『地獄を見る』チャンスは少なくなっている。(中略)
昔は親に頼んで学校に行かせてもらったが、
今は親に頼まれて学校に行ってやっている子供が多い。
学校に行かないのは、
親の言うことを聞かないのだから
親不孝の人生である。
親不孝が地獄に落ちるのは当たり前である。
親がそこで手を貸したのでは、
落ちるべき地獄にも落ちなくなってしまう。
地獄をしっかり見せるためにも、
親は子供が落ちるところに落ちるに
任せればよいのである。」
(『途中下車でも生きられる』昭和60年)
常人には及びもつかない知恵が開陳されています。
この文章は次のように続いて終わっています。
「ある人が地獄と天国を一回りしてきた。
そうしたら、地獄と天国には
皆が考えていたほど大きな開きはなかった。
ちがっていたのは地獄のコックがイギリス人で、
天国のコックがイタリア人だったくらいなものだそうである。
そういうユーモアが、
まかり通る泰平の世の中になったのだから
地獄をそんなにおそれることはないのである。」
(同上)
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