第904回
ペニンシュラ・ホテルの玄関前で記念撮影
ビクトリア・ピークを一通り見物したあと
対岸の九龍地区に渡り、
その尖端にある
ペニンシュラ・ホテルに向かいました。
ここは24歳の邱さんが
一時間の時間差を置いて
台湾から逃れた友人と落ち合った場所です。
レパルスベイ・ホテルで労を労われたあと、
邱さんは何食わぬ顔をして台湾に帰るのですが、
それから香港に亡命するまでのことを
邱さんは次のように書いています。
「台湾へ戻ってしばらくすると、
国連本部から、APやUPの記者たちが
『台湾の人たちが台湾独立運動をはじめた』
というニュースを流し始めた。
或る日、私が勤め先の銀行に行くと、
机の上におかれた新聞に一頁大のスペースで
台湾省議会の議長名で
『台湾にはそういう不逞分子はいない』
という反駁文が載っていた。
それを見た私は
自分の全身から血の気がひくのを感じた。(中略)
取るものも取りあえず、
私は飛行機に乗って香港へとび出した。
途中、逮捕されることもおそれて、
相棒になっていた友人と、
一時間ずつスケジュールをずらせて、
別々の飛行機を選んだほどであった。
飛行機が台北の飛行場をとびたった時、
私はこれで生命が助かったと
思わず胸をなでおろした。」
ここで邱さんがおっしゃる友人と
落ち合ったところが、
ペニンシュラ・ホテルの玄関の前です。
いまから59年前の1948年(昭和23年)
10月20日のこととうかがっています。
そうした“由緒のある場所”なので
私たちは整列し
自動車の動きの間隙をぬって、
記念写真をとりました。
|