第901回
香港には若き日の邱さんの足跡があります
私が毎日書いている文章の中には
毎回と言ってもいいくらいに
「邱さんはこういうことをなさった」とか
「邱さんがこうおっしゃっている」
といった言葉が出てきます。
なぜ、こんな具合になるのでしょうか。
自分なりにその淵源をたどると、
若き日の邱さんの生きざまに行き着きます。
ご承知の方も多いでしょうが、
邱さんは大東亜戦争が終わり、
故郷の台湾が
日本の植民地でなくなったため
台湾の再建を夢見て、
東大の大学院を途中で切り上げ、
故郷に帰りました。
ところが、台湾で実際に目にしたのは
中国共産党に追われて
台湾に逃げ込んだ蒋介石一派が、
台湾住民を蹂躙している姿でした。
正義感あふれる邱さんはガマンならず、
ひそかに香港に飛び、
「台湾の政治は台湾住民が選べるようにしたい」
と国連に提訴する手伝いをしました。
その行動は、むろん、
隠密裏に行われたのですが
蒋介石一派が感づくところとなり
邱さんは身の危険を感じ、
友人と一緒に香港に高飛びします。
邱さん、24歳のときのことです。
その日から国籍を持たない
亡命者としての生活が始まりました。
「革命家」という勇ましい名前とは別に、
「この先いったいどうなるのか」と悶々として、
眠れぬ夜が続いたとうかがっています。
亡命者というと、
私たちは困難に打ちひしがれ、
身も心も弱りきった人を想像しがちです。
しかし邱さんの場合は
『背水の陣』を敷くことによって、
逆にそれをバネにして、活路をひらきます。
息を吹き返すのです。
こうした邱さんの生き方に
私などしばしば元気づけられます。
幸いに香港には、
亡命生活をしていたころの邱さんを
髣髴とさせるところがたくさん残っております。
私はセミナーに集まっていただいた人たちと一緒に
訪ねたいところを前もって
香港在住の友人に伝えました。
また友人に私の意向を汲んでいただくため、
『わが青春の台湾 わが青春の香港』
『香港・濁水渓』『香港発 娘への手紙』
などの邱作品を贈り、読んでいただきました。
香港在住の友人は、
私の意向を的確に読んでいただき、
現地のバス会社と交渉して
一番適切な、バスツアーのプランを
作ってくださいました。
おかげで私は大船に乗ったつもりで
セミナーに集まっていただいた人たちを
バスで案内することができました。
次回からその内容を紹介させていただきます。
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