第826回
香港では邱さんの足跡を探訪します
香港で人生設計セミナーを1月9日にひらきます。
自分の仕事の選択や理財づくりについて
関心をお持ちの方に参加いただき、
午前中は、人生設計についてのレクチャーと
参加いただいた皆さんと意見交換をします。
そして、午後は、
人生開拓の実践版のスタディーとして、
香港ならではの企画を実行します。
邱さんの足跡を探訪するツアーです。
皆さん、よくご存知の通り、
香港は、邱さんが青春期、
自分の力で真暗闇の中から
明るい路を切りひらいた場所です。
邱さんは最近まで、
香港島のコンベンション・プラザを
香港でのお住まいにされていたと
うかがっていますが、
邱さんがはじめて香港を訪ねたときは
24歳のことで、台湾を牛耳る人たちの
悪逆非道な動きに対抗するため、
「台湾の将来は台湾住民で決めるように
しなければならない」
というメッセージを
当地のアメリカ総領事館から、
ひそかに国連に提訴しました。
こうした行動に出たために、
邱さんは台湾政府から追われる身となり、
同志とともに香港に亡命するのですが、
そのとき邱さんは無一文同然の青年でした。
以来、郷里の先輩のもとに身を寄せて、
不安定きわまりない亡命生活を
はじめるわけですが、この先、
自分はいったいどうなるんだろうと、
眠れぬ夜をすごし、ふと気がつくと、
夜がしらじらと明けていたということが、
一度や二度ではなかったと、
著作のなかで述懐なさっています。
そうした生活の中から、
邱さんは活路をひらき、
突然大金持ちになっていくわけですが。
台湾独立のメッセージを発するために
はじめて香港を訪れたとき、
郷里の先輩からねぎらわれたのが
浅水湾付近にあったレパルスベイホテルです。
いまはもうホテルはありませんが
その跡地を訪ねることはできます。
そして、台湾政府から追われる身となり
同志と示し合わせて
命からがら、台湾から香港に高飛びし、
香港で落ち合った場所が
ペニンシュラホテルの玄関前です。
また物資不足の日本に
ペニシリンなどの貴重品を郵便小包で送るため、
バス代を倹約して尖沙嘴(チムサーツイ)の
郵便局に向かったのがネーザンロードです。
このように香港には
青春期の邱さんの足跡をたずねるところが
いろいろあります。
拙いことですが、私が邱さんの
たくさんの著作を通して得た知識をもとに
ガイド役をつとめます。
ひょっとしたら、私たちも
歩き回っている間に
見えない前途に向かって
踏み込んでいく勇気と活力を
いただくことになるかもしれません。
ご興味のある方はご参加ください。
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