第264回 (旧暦10月28日)
「笹魚」を知っていますか?
仙人の「1万円生活」は、もう1週間前に終了しましたが、
終了間際のある日、フッとあることを思い出しました。
それは、もう20年ほども前に
イワナ釣りで奥会津に出掛けた折のことですが、
その日泊まった民宿で偶然眼にした
「笹魚(ささうお)」の姿でした。
「笹魚」というのは、
70年くらいに1度だけ実るといわれるササの実のことで、
下の写真でも判るように、
その姿かたちが魚に似ているところから
「笹魚」と呼ぶ地域があるのです。
ササは、花が咲いて実がなると枯れてしまいますが、
昔から、凶作の年によく実るといわれ、
飢饉のおりの救荒食として各地で利用されてきた歴史があります。
食べ方は、粉に引いてコメやソバ粉と混ぜ、
モチや団子にするのですが、テットリ早く言えば、
節米用の増量剤ということです。
仙人がそれを見つけたとき、宿のオヤジに
「この地方でもこれを食べていたのか?」と聞きますと、
「自分の代では記憶がないが、親の代には食べていたそうで、
自分が子供の頃には笹魚の粉が備蓄してあったのを憶えている」
ということでした。
この笹の実は、米沢藩(山形県)中興の祖と言われる
上杉治憲(鷹山)が残した救荒食の手引書
『かてもの』(享保2年・1802年)にも登場しますから、
東北地方一帯では広く利用されていたのでしょう。
また、救荒食に関する資料をひもといてみると、
冷害で実を結ばなかったイネの茎(稲わら)を
細かく切って柔らかくなるまで煮、
これをモチ米と一緒に搗き上げた「わら餅」とか、
マツ(赤松)の中皮(甘皮)をアク抜きしてから
よく叩いて繊維をほぐし、これをもち米に搗き込んだ
「松皮餅」など、現在の食糧事情からは想像できないようなものが
昭和の初期まで実際に食べられていたことが解ります。
おそらくこれからの時代には、
たとえ凶作や大地震、はたまた戦争が起ころうと、
再びこうした救荒食のお世話になることは
まずないと思われますが、
わが先人たちが生命がけで残してくれた知恵だけは、
後の世までしっかりと伝え残しておかなければなりますまい。
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70年に1度実るクマザサの実 |
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