第221回 (旧暦8月29日)
卑弥呼はマツタケを知らなかった?
日本人が大好きなマツタケは
松林(アカマツ林)に発生するキノコです。
そして、そのマツは、日本人にとってもっとも身近で、
かつ親しみのある樹木のひとつであり、
われわれの生活様式や精神文化とも深く結びついてきました。
そのため、マツという樹木は、太古の昔から現在と同じように
日本列島各地に広く繁茂していたと思われがちですが、
実は、その隆盛の歴史は案外新しいことが解ってきたのです。
どういうことかといいますと、考古学的な検証によれば、
マツは、弥生時代後期(3世紀)にはわが列島において
まだまだ少数派の、あまり目立つ樹木ではなく、
古墳時代(3世紀末〜6世紀中頃)になって
どうやら身近な樹木となり、やがて正史の幕を開く頃になると
きわめてポピュラーな存在になっているのでした。
それでは、このわずか500年足らずのうちに、
マツはどうしてこれほどまでに
台頭することになったのでしょうか?
それは、この時期が日本列島における
ダイナミックな水田開墾の時代であったからです。
水田の開墾は、原生林を切り開き、耕地を作るだけではなく、
家屋や農具、燃料、肥料など、さまざまなかたちで
森林の収奪が繰り返されるため、
豊かであった広葉樹の森林もこれによって
たちまちヤセ地になってしまったのです。
つまり、もはや広葉樹の生育にとっては不適となったヤセ地に、
広葉樹にとって替わって進出してきたのが、
ヤセ地に強い針葉樹のマツであったというわけです。
ということは、この日本列島では、
マツという樹木は水田の開墾と二人三脚で
勢力を拡大したということにほかなりません。
考えてみれば、クロマツの北限が青森県、
アカマツのそれが北海道西南部で、
実質的なコメ作りの北限域とおおむね合致していますから、
これもたんなる偶然ではなかったことになるのでしょうか。
ところで、いつだったか、邪馬台国の女王・卑弥呼が
「なんだ、今日もマツタケか……」などと言いながら
マツタケを食べているイラストだか漫画を
目にした記憶がありますが、そうなると、
実際には女王・卑弥呼はマツタケなど
見たこともないことになってしますのですよネ。
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マツタケ |
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