第77回
関西空港の便数減で利用者が損することに
関西空港の経営が芳しくないのは、
初期の経営者の見通しが甘かったのが理由のひとつ。
開港のタイミングもよくなかったかもしれない。
工事に取りかかったのがバブル経済の只中。
開港した1994年は日本経済急降下の時期でした。
現在、中部国際空港が工事中ですが、
厳しい予算の削減などを行って
経営状態を良好にする努力がされています。
しかし関空を設計、工事をしている時代に、
たとえ航空会社が厳しい指摘をしていたとしても、
国や世論がどれだけ耳をかしていたかは疑問です。
当時は浮かれて踊っていた日本だったわけですから。
地盤沈下で想定外の予算がかかるなど
物理的なマイナス要因も響いた。
阪神・淡路大震災で滑走路に影響が出たりもしました。
関空のオープン当初は、伊丹空港の時代に比べると、
国際線は70%増を記録しました。
しかし、航空会社にとって、関空は利益のあがり難い空港でした。
ビジネス客、つまり収益のあがる乗客は伸び悩む、
その割に空港から請求される着陸料などの経費は嵩む。
90年代の航空業界は、激しい他社との競争や運賃の値下がりで、
リストラの嵐が吹き荒れる時代でもあった。
当然、利益の上がらない路線を
いつまでも飛ばしている余裕などない。
2001年にはすぐ近くのソウルに仁川国際空港がオープンし、
2002年には成田空港に2番目滑走路ができ、
航空会社の目がそちらに向くようになった。
さらにその間には、米国同時多発テロ事件が起き、
アメリカ系の航空会社を中心に関空線を運休するところが相次いだ。
その結果、欧米路線は一時期の半数にまで減少していました。
アメリカ系の航空会社は、魅力あるマイレージサービスを
提供しているところが多い。
しかし、せっかくマイルを貯め始めても路線が減ると、
貯める機会も減る。利便性が損なわれるのも確かですが、
マイレージを楽しみにしている利用者にも影響が出る。
安定した便数を提供できていない関空ですが、
当初、あるいは開港してからこれまでの芳しくない経営状態は、
いろんな点で利用者に影響を及ぼしているわけです。
関西圏の旅行者は、利便性の高まる羽田や成田路線を、
これまで以上に視野に入れて海外へ行く時代になってきたようです。
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