第2072回
もっとも長く「大逆事件」を書き続けた作家
「大逆事件を告発し続けた、たった一人作家」=
沖野岩三郎の軌跡を追った
拙著近刊「大逆事件異聞――大正霊戦記――
沖野岩三郎伝」の話の続きです。
では、どんな大正、昭和前期の言論の封殺下で、
沖野岩三郎は捕縄捕縛されることもなく書き続けたのか?
その謎のポイントを「大逆事件異聞――大正霊戦記――
沖野岩三郎伝」から、告発長編小説とともに、
前後して事件の真相を綴った自伝随想
「生を賭して」について綴った箇所をさらに抜粋紹介します。
*
ペンをストレートに剣に変えたのでは負ける。
ペンで抗するにはペンに心魂の息吹を吹き込む。
いわば催眠法でも施すごとくに官憲の目をくらませ、
真実を知らせる以外に術(すべ)はない――、(略)
覚悟さえ決めれば、
いくらでも抜け道は開けることがわかってきた。
自伝の中に、恋愛小説の中に、
紀行文の中に、巧みに抜け道を探し出しては
自由主義者を非国民とおとしめる官憲の罠と、
人間の心の中まで蹂躙(じゅうりん)し、
支配しようと忍び込む権力の横暴を暴いて見せようと覚悟した。
ときに皮肉を込めて、ときに「許してください」と
わが身のふがいなさを告白して、
遠まわしにでも「この事件を忘れてはならん」
「日本の行く末がおかしくなる」とメッセージを送り続けた。
時代の閉塞とは後世の人が理解することはなかなか難しい。
自由主義者の学者の集まる会合などに招かれれば、
決まって客たちは大逆事件のヒソヒソとした裏話を喋れ、
教えろと沖野にねだった。
扉の脇に警官はいないか、探偵は潜んでいないか、
雑踏の中に私服の刑事がまぎれていないかと気にしつつ、
「近所に預けた下駄を刑事が
爆弾を間違えて証拠品として持ち帰った」話や
「ピンポン玉を知らない警官がいて、
投げつけると爆弾と勘違いして
耳をふさいで逃げた」といった、
おどけたエピソードを交えては
決して尻尾をつかませないように、
慎重に、面白おかしく事件の愚かしさを講釈した。(略)
近年、作家・沖野の再評価論が散見される。
早稲田大学教授の紅野敏郎は
「1910年代 文学の園」(星雲社)の中で
「不穏なる宗教家」と揶揄する当時の新聞記事を紹介しつつ、
沖野の作家としてだけでなく出版活動にも着眼し
「それなりに貴重、この時代の文学史、社会史の一角に
いささかでも組み入れたく思う」と結語している。
また、日本文学研究叢書「大正の文学」の
「沖野岩三郎論」(小川武敏・著)の中でも
「何時捕らえられるかわからな恐怖の種を持ちながら、
数十年間事件の真相を語り続けた」と評価され、
「文学は強い外圧の中でその本領を発揮した」とする
「文学の力」(音谷健郎・著 人文書院)の中でも、
その闘う作家群の一人として
沖野岩三郎の役割が取り上げられているが、
大逆事件の資料に詳しい研究家で
新宮市立図書館の山崎泰司書も
「たしかに牧師・沖野岩三郎にスパイ説はあったが
事件の救援活動家としてまた秘密伝道師として再評価されている。
沖野の小説は事件を知らずに読むと分かりにくいが
資料価値の高さを読むべきだ」と語っている。(略)
*
この拙著近刊の巻末には参考資料も年譜も詳載しました。
いわば近代文学史の下層に埋もれた秘史発掘本ですが、
若い世代にも、ゴールデンウイークの熟読本の
一冊に加えてほしいと思っています。
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