第2070回
「生を賭して」書かれた大逆事件の真相
大正期・軍政弾圧下の時代に、
「大逆事件を告発し続けた、たった一人作家」=
沖野岩三郎の軌跡を追った
拙著近刊「大逆事件異聞――大正霊戦記――
沖野岩三郎伝」の話の続きです。
「幸徳秋水以下、12名を絞首刑に処す」――、
1000人に近い社会主義者や自由主義者の取調べの結果、
26人が、いわば「天皇暗殺未遂の決死隊」の嫌疑で、
絞首刑、無期懲役、有期刑を受け、
その後も1000人にのぼる人が
要視察人=不穏危険人物として弾圧された時代が、
大正、昭和と続く――、
もちろん、大逆事件の処刑の衝撃に
もっとも敏感に反応したのは、
やはり、ペンで闘うことを生業(なりわい)とする
作家たちでしたが、
多くの進歩的な学者も文化人も識者といわれる人たちも、
あまりの病的で陰湿な国家の強権に慄(おのの)き、
一様に沈黙を決め込んだ――。
では、どんな大正、昭和前期の言論の封殺下で、
沖野岩三郎は捕縄捕縛されることもなく書き続けたのか?
その謎のポイントを「大逆事件異聞――大正霊戦記――
沖野岩三郎伝」から、数回にわたって抜粋紹介します
*
第11章 獄中書簡
神聖天皇制を絶対化し、日本を特別な国として対立者や
反抗者の存在を認めようとしない強権メスメリズム国家――、
しかし、それをいくら強要しようとしても
人間の魂とはそれほど簡単に支配されるものではあるまい。
沈黙を続ける作家たちの動向とは別に、
かなりの読者、識者たちはじっと目を凝らして
時の来るのを待っていたに違いない。
声なき声の読者たちを信じて、
沖野は、ときに直截にときに婉曲に
当局の目をくらましては
秘密伝道師としての使命を果たしていった。
沖野は多作な作家となる。
著書、原稿、書簡などは、
没後、母校の明治学院大学図書館に寄贈。
現在、「沖野文庫」として保管され、
その目録も出版されているが、
大逆事件に関連する大正期の
主な作品をまとめると以下である。
『宿命』(大正8年12月、福永書店刊)
『生を賭して』(大正8年7月、警醒社書店・和田弘栄堂刊)
『煉瓦の雨』(大正7年10月、福永書店刊)
『私は生きてゐる』(大正14年6月、大阪屋號書店刊)
『宿命論者のことば』(大正15年12月、福永書店刊)
とくに長編小説「宿命」に先立って出版された
沖野の自伝「生を賭して」は
単行本として沖野の秘密伝道作品の第一弾で、
その記録的価値は大きい。
幸徳秋水、大石誠之助らが処刑されてから8年――
この作品でやっと事件の核心に触れる作品を
公に出版するチャンスを掴んだわけだが、
その時とても危険人物・要視察人(甲)として
特高から追われる身には変わりはなかった。
「生を賭して」の題名の通り、
いのち賭けの日々であったことは間違いない
自伝「生を賭して」も、そう簡単に世に出たわけではない。(略)
*
続きはまた明日。
興味のある方は、本を読んでみてください。
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