元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第2007回
「自らのいのちとは創作芸術である」(2)

マクロビオティック食哲学の始祖・
桜沢如一さんが46歳のとき、人生半ばにして出版した
詩歌集「わが遺言」の冒頭には、
「偽食」から「正食」へ! を志す人にとって、
とても大切な哲学が書かれている――、

それは、「自らのいのちとは創作芸術である」という、
青春期を歌人として過ごした桜沢如一の、
まさに全世界に向けて放った「遺言」。
難病患者のみなさんのみならず、多くの方たちが
このいのちのキーワードをかみ締めて、
これからはいのちを大事にしていただきたい――
という話の続きです。

では、桜沢さんは、どんな詩歌を若き日に書いていたか?
とても、人間味にあふれた作品の一部を
抜粋紹介しますので、
みなさんもしみじみと味わっていただきたいと思います。

昭和11年〜昭和13年の
「つねに われ ただ ひとり なり」という作品集が
まず掲載されていますが、
それは1938年、台北へ向かう
ダグラス機上での思いを綴ったもの。
インド、シナイ山、ピレネー、
パリ、ユングフラウ、そしてシベリアを旅した
食養伝道の日々の思い出を回想しつつ、
筆を取ったようです。

「我は見き――ただひとり――(略)
われ つねに ただひとりありき。
われ なほも ひとりし行かむ。
ただひとり・・・・・・
心さびしく ただひとり
悲しきことを思ひつつ
はかなきものを愁ひつつ
いやはてに日のあるかなき
めぐり会ふ日のあるかなき
未だ見しことなき人を
とこしへにゆめ相見ざる さだめをもちて慕ひつつ
恋ひ渡るごと 耐えがたき
憂ひたたえて われなほも
ひとりし行かむ、
赤々と燃え盛りつつ
おちてゆく陽をながめつつ
赤々と燃えさかりつつ
おちてゆく陽のごとく
われは ただ つねに ひとりし 行きゆきて
はてなき道のはてしまで
ひとりし行かむ、ただひとり、
   思ふこと、恋ふひともなき
さみしさの国 まことの国」

なんとも、明星派独特のロマンティックな
情感にあふれる詩ですが、
単身、海外に雄飛し、
人間のいのちの喜びを探求する
桜沢の人となりが伝わってくると思いませんか。


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2008年2月24日(日)

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