第1940回
長寿難病時代の「心と魂」について
まさに「週刊帯津」の様相で、帯津良一医師の
スピリチャルな新刊本が読まれている――、
僕たちが出版している「いのちの手帖」には、
毎号、巻頭言に寄稿エッセイが載っているので
合わせて読んで、
この長寿難病時代の生老病死を考え、
自分の納得いく
「いのち哲学」「人生設計」をしていこう――、
とくに、いま「いのちの手帖」の創刊号は
売り切れになってしまっていますので、
明日、その「いのちの時代へ」という
帯津医師の巻頭言を抜粋紹介しよう――
という話の続きです。
*
対象は体ではなくいのちなのだ。
人間は体、こころ、いのちから成るといわれている。
しかも三者の寄せ集めではない。
渾然一体となった三者の統合体こそ人間なのだ。
体はどうでもいいというのではない。
焦点を合わせるところが
体からいのちに移ったということなのだ。
統合体である。
いのちに焦点を合わせれば当然、
体にだって思いは行き届いている。心配はない。
ところで“いのち”とはなんだろう。
いのちとは“場”のエネルギーである。
時空を超えて、広がる偉大なる空間、
虚空の場のエネルギーがいのち(スピリット)であり、
この一部が私たちの体内の場に宿ったものが
生命(ソウル)にほかならない。
元来同じものだが便宜上、
区別して使い分けていると考えていただきたい。
そして、刻々と変化するいのち
あるいは生命の場のエネルギーが
脳細胞を通して外部に表現されたものがこころだとすると、
こころの本体も場のエネルギーということになり、
人間は体とエネルギー場の二つから成ると
言い換えることができる。
養生の焦点が体から、
こころといのちのエネルギー場に
移ったといってよいだろう。
養生がそうなら医療だって同じである。
元来、養生と医療とは
表裏をなすものであって将来は統合されていく宿命にある。
さらに、帯津さんの「いのちの時代へ」という
この長寿難病時代を先見した予言的なエッセイは続きます。
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