元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1926回
「祈りに満ちた心」(1)

またまた敬愛する帯津良一医師から、
新刊本「いのちの力」(藤波源信、帯津良一・共著)
という対談集が送られてきた――、

日本のホリスティック医学の先駆である帯津医師と
戦後12人目の千日回峰行を成し遂げたという、
比叡山の藤波源信大阿闍梨が
医療現場と修行で得た「死生一体」を語り合うという
異色の顔合わせの本だ――

「生きて、生かされる」という境地が
解き明かされているから
ガン患者ならずとも、この冬休み必読の一冊として推薦する――
という話の続きです。

生き仏として崇められている「大阿闍梨」のことは
前回、説明しましたので、
この対談で「生きて、生かされる」の境地が
いかに語られているか?
そのポイントが、帯津医師の前書き「祈りに満ちた心」で
わかりやすく書き下ろされていますので、
一部を抜粋しておきます。

     *

《祈りに満ちた心》     帯津良一

(略)今度のお相手は比叡山の大阿闍梨、千日回峰行という
偉業を成し遂げた人ですから、
私にとってはノーベル賞受賞者にも匹敵するような
高い高い雲の上の人です。(略)
死後の世界は有りや無しや。科学的根拠をもって、
この問いに答えることのできる人はいないでしょう。
『生きて死ぬ私』(ちくま文庫)の中で、
脳科学者の茂木健一郎氏は、
人生はすべて脳内現象である。
死して脳という素材が潰えれば、人生は終わり、
だから死後の世界を信じないといいます。

一方、夏目漱石は『漱石書簡集』(岩波文庫)の中で、
わが意識が生のすべてであるとは思わない。
だから死んでも自分は在る、といいます。
同じ思考過程を辿りながら、
まったく異なる結論に至っています。

どちらも、それぞれの態度です。
どちらがよいとか悪いとか
いう問題ではありません。
しかし、死後の世界を信じてほうが
病という状況の中にあっても
QOL(クオリティ・オブ・ライフ)が高いし、
病状の改善も得られるような気がするのです。(略)

         *

どうでしょうか?
「死んでも自分はある」とする
帯津医師の持論が、今回の本にも縦横に展開され、
また、「生きて、生かされる」という境地が、
ノーベル賞受賞者にも匹敵する
比叡山の大阿闍梨の講話と共に語り明かされる・・・、
また、フツーの医学本などでは到底読めない世界に、
読んで行く読者を導いていってくれるわけですから、
読んで面白くないわけがありません。

そして、今回の本で送られている
いのちのメッセージが、
瞑想、修行の底辺にある、
「祈り」というキーワードなのですね。


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2007年12月5日(水)

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