元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第1874回
いのちのバトンタッチ・マガジン

「いのちの手帖」を創刊号から読みたかったのですが、
売り切れとは残念です。
最新号と、第2号、第3号の
バックナンバーも合わせてお願いします」

いま「いのちの手帖」のバックナンバーを希望される方から、
たくさん問い合わせをいただいていますが
残念なことに創刊号は売り切れなのです。すみません。

というわけで、残念ながら
「いのちの手帖」創刊号【2006年3月発売】を
読んでいない方のために、発刊趣旨と経緯について、
僕が書いた創刊号の「編集後記」を紹介しますので、
これを読んでから、2号、3号、4号と続けて読んでいただき、
この小さな雑誌をぜひ
みなさんの治療計画や人生設計の伴侶としていただきたい――、
昨日に続いて「 小誌を、3人の“心の弟たち”に捧げます!」
と題する「いのちの手帖」創刊号の
《編集後記》を抜粋しますので、
読んでみてください。

           *

本誌が一人でも多くの方々の手元に届き、
「いのちのグッドニューズ(福音書)」
として役立つことを願っています。
そして、ガンをはじめ、多くの体験患者の「いのちの知恵」が、
次の患者へ、さらに次の次の患者へ、
そして子供や孫の世代に。手から手へ、
こころからこころへ・・・しなやかなライフラインの絆を繋ぐ、
本誌のスローヘルス活動に倍旧のご支援をいただければ幸いです。
                  
ただ、この編集準備の過程で起こった、
じつに残念至極な出来事についても、
一言だけ、この場を借りて書き添えさせていただきます。

それは、より“人間らしい治療の実現”を
誓い合って闘ってきた
「スローヘルス研究会」の3人の中核メンバーを
次々と失ったことです。じつに悲しい出来事でした。

一人は、作家の倉本四郎さん。
食道ガンとの闘いの中で
「ひぐらしや なお日を残しつつ 店仕舞い」
と辞世の句を残して、静かに旅立ちました。
また、末期の肺ガンと宣告されながらも、
あしかけ3年、奇跡的な回復をしていた
原田廉平さんもいのちを奪われました。

そればかりではありません。
このふたりをはじめ、多くの患者や家族のみなさんから、
よき相談相手として慕われていた天才肌で人情派の医師、
土屋繁裕さんまでが、過労の為に
昨年、10月、くも膜下出血で急逝されたのです。
まだ49歳の若さでした。

頭をハンマーで殴られるほどのショックを受けました。
日夜、心身の苦楽を共に分かち合ってきた、
いわば“心の弟たち”でしたから、
3人を失った痛みに「神も仏もあるものか」と、
運命の意地悪さをなじったものでした。
あの少年のように爽やかな笑顔が忘れられません。
さようなら! 気持ちのしなやかな人たちでした。
人の寂しさがわかる素敵な人たちでした。 
でも、僕たちは、この小さな小さな雑誌の世界で、
いつも一緒なのです。           (関根進)

        *

これが「いのちの手帖」を創刊した僕の偽らざる気持ちですが、
この小さな雑誌は生死も際を越えて、
多くの家族に、次の世代、次の次の世代へと繋ぐ
「いのちのバトンタッチ・マガジン」でもありますので、
ぜひ、ご家族やお子さんと共にお読みいただきたいと思っています。


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2007年10月14日(日)

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