第1786回
三木卓さんの「いのちの寓話」
芥川賞作家の三木卓先生から
「蝶の小径」(幻戯書房)という、
洒落たエッセイ集が送られてきました。
三木さんといえば、代表作「砲撃のあとで」などの
自伝的長編小説や戦後の青春の日々綴る作品で有名ですが、
詩人であると共に、大人の絵本のような動物世界を描く
寓話ファンタジーの作品群がいくつもあります。
この本は、作者の身近にいる蝶の世界のエッセイを集めたもの。
少年時代を過ごした中国大連のトンボのギンヤンマには始まって、
かつて仕事場のあった東京荻窪界隈のアゲハチョウ、
はたまた沖縄・南西諸島のオオゴマダラやツマベニチョウまで、
普段は忘れてしまっている、小さな生き物たちの、
優雅に見えて、じつは喜怒哀楽に満ちた「いのちの世界」が
読者の前に開けてきて圧倒されます。
読んでいくうちに、三木さん独特のちょっとブラックで
やさしいユーモアのある観察眼が、
やがて人間社会への風刺と転化して、
読者は知らず知らずのうちにページに引き込まれてしまう――、
そうした大人の童話としても楽しめる
ファンタジックで風刺の効いた魅力的な一冊です。
たとえば、スジグロシロチョウやギンホシヒョウモンといった
珍しい蝶の雌雄のけなげな交尾の描写が登場するくだりは、
人間の性愛ドラマなどを超えた悲しみも嫉妬も行き交って、
それはそれは、哀歓と情感に溢れるもので圧巻です。
スジグロモンシロチョウの雌が、雄の要求を拒否する身ぶりなど、
こちらがドキッとさせられます。
内容は読んでみてのお楽しみですが、
作者は次のように独白しています。
「そこには、明確な性の異なるものの関係がのこっているのだ。
わたしにはそのことが忘れがたい。
地球上以外に生物がいるとしても、
それは性を所有しているだろうか。(略)
このとき、スジグロシロチョウとわたしは
地球的生命、地球的性の等質、という点において結ばれていると
わたしは感じたのだった」
こうした寓話ファンタジーの世界の好きな人には、
たまらなく面白い作品ですから
ぜひ読んでみてください。
もちろん、三木さんは「蝶の島沖縄探蝶紀行」といった作品もある
無類の昆虫ファンで、僕のように蝶や蛾の世界に疎い読者でも
まるで華麗な昆虫図鑑を読んでいるような気分とさせられます。
三木さんには、20世紀アメリカを代表する
絵本作家・ アーノルド・ローベルの翻訳絵本もたくさんあります。
かえるくん,がまくんの名コンビが活躍する絵本や
一人暮らしのふくろうくんの奇抜なお話が登場する世界で、
読んだ人もいるかもしれません。
そういえば、20年ほど前に、
僕が「マフィン」という女性月刊誌を創刊したときに
三木さんに連載していただいた作品が
「いじわる動物園」という、
とても風刺の効いた寓話エッセイでした。
ちなみに、三木さんは幅広いジャンルの長年の功績が認められ、
先月、日本芸術院恩賜賞を受賞されました。
いま若者の間で、燻し(いぶし)銀のように
「深く味わいのあるもの」を
「渋い」と表現しますが、三木さんには、これからも
「しぶくて味わいのある」作品を書き続けてほしい
と期待しているわけです。
そうした忙しい最中なのですが、
次号「いのちの手帖」第4号(9月10日発売)には、
珠玉のエッセイを寄稿していただきました。
こちらは、奥様の病気について綴った「家内の病気」と題する、
とてもシリアスな「いのちの話」です。
「いのちの手帖」愛読者には必読の渋くて深い随筆です。
楽しみにお待ちください。
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