第1707回
40歳は「いのちの分岐点」
元気で長生きしていくためには、ただ物欲には走る、
また手軽な健康マニュアル本や霊感本にすがるというのではなく、
40歳からは、「いのちの心魂本」を読もう――、
自分の後半人生の指針が、しなやかに力強く設計できます。
哲学書や科学書でも、小説や随想でも
学生のころに、
一冊や2冊は読んだはずの東西の古典の名作を読もう――、
とくに、夭折した天才のものより、
長命の作家や思想家、科学者が残した、
40歳以降の作品がよろしい――、
という、「40歳からの魂進化論」、さらに「40歳から古典に学ぶ」
「40歳からの長命作家の心魂本の読書」のすすめの話の続きです。
40歳を過ぎたら、
学校で人生観や世界観を教わるわけには行きません。
ましてや、企業や国家に、
自らの後半生を丸ごと託すのは愚の骨頂でしょう。
自分で処世設計を創造できる年代が「40歳から」ですから、
人生の先達の心身の苦悩を克服する知恵を学ぶには、
言い古された話ですが、「古典に学ぶ」ことが近道なのです。
大学受験戦争のために、「世界史」の授業を教えなかった、
高校の中高年教師たちの価値観の堕落には呆れるばかりです。
哲学者ならベルクソン、科学者ならアインシュタイン、
作家ならゲーテやトルストイ・・・創造的なスピリチャルな世界を
見せてくれる長命な「叡智」の古典はたくさん残っています。
もちろん、親鸞や老子、
貝原益軒の本も興味深い知恵が詰まっています。
ドイツの作家・トーマス・マンは
「ゲーテとトルストイ」というエッセイの中で、
同じ天才作家でも、シラーやドストエフスキーよりも
ゲーテとトルストイの方が「自然の高貴性」がある述べています。
その理由は「シラーの天才もドストエフスキーのそれも、
地上の一角を霊験あらたかな霊場とはなしえませんでした。
彼らはあまりに若くして死にました。
彼らは、ゲーテやトルストイのように
長老的年齢に達することが出来なかったのです」と。
僕たち夫婦は、来月あたり、久しぶりにロンドンを廻って
南ドイツやチェコ、オーストリア、ハンガリーあたりを
のんびり旅してこようと思っています。
モーツアルトやベートーベンの名曲、
ミュッシャの名画に触れるだけでなく、
スピリチャルな天才や叡智を育てた
ヨーロッパの独特の風土といいますか、
高貴な「地霊」の潜む世界も垣間見れたら面白いと
いまからトキメイているわけです。
というわけで、いい機会ですから、
旅のまえに、80歳を越えて活躍した
ゲーテやヘッセの小説やエッセイも
いくつかを読み返して愉しんでいます。
さらにチェコ・プラハが生んだ天才作家・カフカは、
42歳で夭折しましたが、
後半の「審判」や「城」といった幻想的な長編小説も、
とても深い作品ですから読み返しています。
まえに紹介した人智学の祖、シュターナーが50歳のときに、
27歳のカフカが会いに行った
という逸話をまえに聞いたことがあり、
気になっていたことでしたから。
「えー? 40歳からスピリチャルなもの、魂が進化する?
40歳から難解な古典を読め? そんなアホな?」
忙しくてそれどころじゃないよ」
と呆れる人もいるでしょう。
しかし、信じるか、信じないかは別にして、
大きな病気をしていのちの不思議を体感した人、
いや、中高年になって
若いころに比べると思考が深まってきたと感じている人には、
とても勇気や希望をもたらす近道なのです。
ともあれ「40歳からの魂進化論」
「40歳から長命作家の古典に学ぶ」
ということは、 これからの長寿時代を元気に生き抜く、
スピリチャルな知恵であることは間違いありません。
40歳は、まさに人生80年の『いのちの分岐点』と考えましょう。
この長寿時代、情報過多時代、
そしてアメリカ式の合理主義がまかり通る
「格差社会」では、ますます、
人間のいのち全体を見た、健康法だけでなく、
ホリスティックな人生観を構築すべきときだと思います。
「いのち丸ごと」を再設計する――、その方法のひとつが、
僕たちが提唱している
スローヘルス思考=創造的温和主義
でもあるわけです。
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