第1564回
気・風・息吹こそ「いのちの源」・・・
「人間のいのち」を機械修理のように扱う、
近代西洋医学と医療制度は間違っている――、
「癒し」への期待、そして、体、心、魂を見る
人間らしい「いのち学」としてのホリスティックな医学の
見直しが始まっている――、という問題提起の続きです。
洋の東西を問わず、「病気は切れば治る」とする
解剖医学が主流になることによって、
とくに先進国では自然治癒力を大切に考える“癒し”の治療が、
「すべてまやかし」と排除されてきた――、蔑視されたわけです。
これが近代医療の歴史の流れです。
たしかに、傷のような手当ての即効性は高いでしょうが、
世の中の食環境、住環境が複雑になればなるほど、
手術至上主義、化学薬一辺倒の「機械修理式医療」の限界が
目立つようになってきたわけです。
みなさんも、そう感じていませんか?
日本でも、近代130年、戦争の負傷兵の傷を治すには、
手術や化学劇薬を使う「アロパシー」の療法が即効性ありとして、
つまり「機械修理治療」だけが公認され、
自然療法などはもちろん、慢性病や生活難病に効果を示す
漢方も排除されたという歴史があります。
では、なぜ体だけでなく、心、魂の人間の
いのち丸ごとを見る医学が、いま期待されるのか?
もう少し長い、
生命科学のモノサシから歴史を紐解いておきましょう。
心、魂といった目に見えない部分が、
体より上位のレベルと考える発想は、
中国、インド、チベットの伝統医学の中にあり、
次のように生命エネルギー要素に分けて体質を診てきました。
中国医学は「気」「血」「水」、
インドのアーユルヴェーダは
「ヴァータ(風)」「ピッタ(火)」「カパ(水)」、
チベット医学は「ルン(風)」
「チーバ(胆汁)」「ぺーケン(粘液)」。
いわゆる「気や風や息吹」といった
生命エネルギーのキーワードで、
病気の根本的な原因を「心魂=見えない部分」に求めてきました。
もちろん、西洋とて近代以前は同じで、
いのちの要素を、体、心、魂で捉えていました。
ヘブライ語(ルーアッハ=Ruach)の語源は
「空気の移動」で、
やはり、「風」や「息吹」の意味でした。
聖書の創世記でも分かるとおり、
「神は土の塵で人を形づくり、
その鼻に“ルーアッハ=息”を
吹き入れることによって、人間に生命を与えた」としたわけです。
この風、息吹はラテン語spiritusや
ギリシア語pneuma(プネウマ)です。
むしろ、人間のいのちは
機械であるとする医学発想が蔓延したのは、
この近代の僅かの期間であると考えれば、
いま、「治し」から「癒し」への見直しが、
難病患者から見直されていることが頷けると思います。
もちろん、日本でも近代130年間、ドイツ流の機械修理医学と制度が
万能であると教え込まれてきたわけですから、
まだ多くの患者が、これからの医療のあり方については
戸惑っていることもたしかでしょう。
しかし、現実に、近代西洋医学では、
生命の謎、いのちの仕組みはほとんど解明されていません。
臓器治療で治る病気は20%ほどといわれています。
前にも書きましたが、巷では自然療法がブームとなり、
欧米でも気功や針灸、
玄米菜食療法といった東洋の「癒し」の療法に
高い評価を下す時代になってきました。
一番遅れているのは、旧弊にまみれた、
欧米モノマネの近代医療システムに安住する
医療関係者ではないのか?
日本の医師も病院も、もう少し真摯に、治しと癒しの統合、
西洋医学と東洋医学の統合を見直し、体だけでなく、
心も魂も見る人間丸ごとの医学=ホリスティック医学について
緊急に勉強すべきではないか?
僕は一人のガン患者として、一人のジャーナリストとして
いのちの続く限り訴えていきたい心境なのです。
みなさんはどう考えるでしょうか?
|