第937回
「世の鏡」「バカの鏡」
最近のテレビのバカ騒ぎに、
とうとう、僕も頭にきて、
ある月刊誌に頼まれて、
「ライブドア報道―わしら、アホちゃいまんねん」
といったエッセイを書いてしまいました。
今月末に全国発売されますから、
興味のある人は読んでください。
ちなみに、原稿を頼まれた月刊誌とは、
ことし創刊された「ランティエ」という
ちょっと硬派を売り物にした男性総合誌です。
http://www.monthly-rentier.com/
「ランティエ」とは何かといいますと、
「19世紀末パリの都市文化が産み落とした
高等遊民(隠居的生活者)の総称」だそうです。
この雑誌の創刊宣言から引用しますと、
「若い時は仕事に身を砕き、
中年以降は世俗を離れ、旅、登山、釣り、
自動車レース、グルメ、オペラ観劇など、
それまで貴族が独占していた愉しみを、
庶民の生活に持込み定着させた。
ランティエは西洋だけの独創ではない。
わが国に目を転じれば、文人墨客の伝統がある。
西行、兼好、利休、西鶴、芭蕉と、
見渡せば西洋に先んじ多くのランティエを輩出してきた。
弊誌は豊かさと幸福の発見、
消費文化だけに消費されない心の拠としての
日本の風土、伝統、美意識を伝承する
雑誌としてあり続けたいと思っている」
どうです?
このメディアの痴呆化の時代に、
珍しく背骨が通った話でしょ。
とにかく、
「バカの鏡」と堕落したのは
テレビばかりではありません。
最近は、週刊誌も月刊誌も
中身の低レベル化は激しく、
販売部数は激減。
それどころか頼みの広告収入も下降現象にさいなまれて、
とうとう、赤字雑誌が続出して元気がない。
いくじのない記事ばかりが目立っています。
ですから、ちょっと新しい雑誌なら、
次の時代を予兆する手助けになるのじゃないか?
これからのメディア・エンターテイメントはもっと
「高等遊民」になるべきではないのか?
こう思って、
新雑誌「ランティエ」の編集長に原稿OKをしたわけです。
この月刊誌の創刊号の特集は、
「よみがえれ うつくしいにっぽん―、日本人論」などと、
松岡正剛、斉藤孝、ロバート・ホワイティング、
山折哲雄といった、そうそうたる論客を並べておりました。
肩に力が入りすぎて、
ちょっと売れ行きは気になるところですが、
メディアとしての気概はよし!と思ったわけです。
ともあれ、
メディアこそ「世の鏡」であって
「バカの鏡」では困るのです。
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