元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第742回
「患者を見下ろす医療」は医療にあらず

多くの末期ガンの患者を
ホリスティックな療法で救ってきた、
帯津良一医師のすべてを書いたノンフィクション
「どんなガンでもあきらめない」話の続きです。

帯津医師といえば、
忙しい診察や講演の間に、
自ら本を書くことが大好きで、
すでに100冊近い著書を出版していますから、
何冊かは読んだ読者のみなさんもおられると思います。

このコラムでも近著「養生は爆発だ」
「ガンに勝った人たちの死生観」
という本を紹介したことがあります。
『死はそんなに悪いものじゃない』
という死生観を築いたとき、
人は予想を越えた回復を見せることがある――
虚空と一体となったときに生きる勇気が湧いてくる――
とする帯津哲学については、
もうご存知の方も多いと思います。

ですから、この「どんなガンでもあきらめない」という
ノンフィクションからは、
帯津医師が大病院を辞めて、
なぜ一介の「町医者」となって
大病院があきれるような気功道場のある
ユニークな病院を地元・川越に開設したか?
そのあたりの興味深い部分を
ちょっと紹介しておきましょう。

帯津医師の病院の正式名称は、
「帯津三敬病院」というので、
よく「帯津三敬」というのが、
先生の姓名だと思っている人がいるようですが、
「三敬」は名前ではありません。

この本は、その由来を帯津医師自身の言葉を引用して、
医師としての優れたあり方を
さらりと述べている箇所があります。
「大学病院の権威主義にはじまり、
 どこの病院でも、
 医者が上から患者さんを見下ろす風潮が強いですね。
 それは医療とはいえません。
 医療には、まず患者さんを敬う気持ちが
 基本でなければならないという思いがあったんです。
 それで『敬』の字を入れると、
 友人がさらに字画の関係から
 『三』を加えて『三敬』にしたらというんです。
 患者さんを中心に、ご家族、医療者、
 この三つの立場の人たちが心を合わせて病気と闘う、
 それが医療であるべきという私の思いにもぴったりでした」

ちなみに、僕も多くの医師たちに出会いましたが、
帯津医師は、もっとも患者に近い医療者、
いや、すばらしい相談相手であることは間違いありません。


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