元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第359回
老人の買い食い、食い溜めに要注意

ガンだけでなく、
親の痴呆も大抵の中年夫婦にとっては
初体験の家庭の一大事です。
わが生みの母親とはいえ、
オムツひとつ履かせるにしても
ひと1倍の体力と忍耐力がいります。

母の「徘徊」は病院内をさ迷うにしても、
自宅から近所をうろつくにしても、
ちょっと、明るさが漂っているのは救いでした。
「ドッコイ、ドッコイ、ドッコイなあ」と鉄道唱歌の節回しで、
大声で歌いながら、ステッキ片手に歩いておりました。

母は10代のころからの純朴なクリスチャンで
「おまえなんかの助けはいらんよ。
わたしには神様がついているから一人で何でも出来るからね」
と、いつも目をくりくりさせて笑う人でした。
昔から、強引なところがあるのですが、
じつに茶目っ気のある人なのです。
80歳直前までは手押し車を押して、
罹りつけの医院でもスーパーの買い物でも、
どっこい!どっこい!と
自らを励ましながら掛け声を上げて出掛けていたものでした。
その一人よがりというか、
明るい性格にはほっとするところがありました。

先日、日記手帳が出てきました。
「最近は世の中がセチがらくていけません。
教会も年寄りのいくところじゃない。冷たいものだ。
医者も往診してくれない。
よ〜し、今日も手押し車を押して○○病院へ行くとするか?」
愛用の白いコットン帽子を斜めにかぶって、
ゴトゴトと手押し車を押して出ていく母親。
縮こまった体で一歩一歩、坂道を歩いていく後姿を思い出して、
日記の走り書きを読みながら、ちょっと涙が出てしまいました。
人生の最後まで“愛のムチ”を振るうとは、
神様って本当に意地悪なものですね?
しかし、そうした“敬虔なる小羊信徒”も、
食べ物の買い溜めと買い食いがエスカレートするころから、
ボケが加速したようなのです。

なんといっても困ったのは、
食い意地がはってきて、
大きなウンチをところ構わずもらしてしまうことでした。
さらに、もうひとつ、
昼夜構わず、気が向くと近くの公園やスーパーまで徘徊し、
道路でひっくり返って顔に怪我をして帰ってくることです。
痴呆には神も仏もないものか?
いまにして思えば、僕のガンだけでなく、
「ボケと食事」が大いに関係があったように思います。


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2003年8月21日(木)

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