第323回
僕が「ドクハラ」本を書いた理由
「ガン患者よ、ドクハラと闘おう!」
(廣済堂出版)を書いたわけは、
盟友の土屋医師の勇気ある活動に触発されたこともありますが、
この6月に、あるショッキングな出来事があったからです。
冬の寒さの厳しい時期や、
梅雨時の湿気の多い季節の変わり目になると
ガンで長患いした患者たちは、
手術を受けた受けないにかかわらず、
必ず、患部や背骨、腰骨が痛むといった
体の不調を訴えるものなのです。
「○○キノコでガンが完治した」などといった
健康食品PR本の誇大な新聞広告をよく目にしますが、
ガンとの闘いはそれほど単純で
なまやさしいものではありません。
前にちょっと心配したように、
親友の作家・倉本四郎さんにしても、
放射線治療の後遺症や
心嚢に水が溜まって、呼吸が圧迫されたり、
さんざんな目にあいました。
僕にしてもラルストロンという食道腔内直撃の
強烈な放射線治療を受けた被爆後遺症があり、
突然、咳風邪に突然襲われたこともあります。
幸いなことに、
抗生物質+天仙液+漢方煎じ薬+紅豆杉の優喉茶+梅醤番茶=
などの「いいところ取り」の工夫を総動員して凌ぎましたが、
どんな気丈な患者でも、再発や転移を気にしながら、
退院後は悶々とすることは確かなのです。
そんなとき、5年前、僕と同じ大学病院の同じ主治医に、
食道ガンの手術を受け、とうとう亡くなってしまった、
元編集長・Cさんの訃報が届いたのです。
Cさんについては「ガン患者よ、ドクハラと闘おう!」にも
少し触れましたが、
16時間に及ぶ食道ガンの大手術の合併症から
再発、転移、院内感染。
さらに8回にわたる手術、そして、延べ400日にのぼる入退院。
なんとあわせて2メートルも体中を切り刻まれて、
無念の涙の中で昇天されたのです。
僕は「ドクハラ治療」を察知してガン病棟を脱走した身ですが、
同じ大学病院で同じ医師たちに罹った“戦友”ですから、
温厚なCさんが甘んじて受けてしまった、
問答無用の手術の数々を耳にする度に、
いつも耐えがたい憤りを感じておりました。
そしてスポーツマンで
80キロ近い大柄なCさんが20キロもやせ細り、
無念の思いを抱いて息を引き取ったという、
なんともショッキングな知らせが来たわけです。
まさに「ドクハラ医師」「ドクハラ治療」に苦悶したCさんが、
「関根さん、ドクハラと闘おう!」と、
僕に筆を走らせたといったらよいでしょう。
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