第176回
あわてて、あの世に走ってはなりません
養生一筋を貫き通そうと覚悟が決まれば、
ただの神頼みではなく、
かえって余生をしぶとく生き残ろうとする
プラス志向の気力が患者自身に湧いてくるはずです。
不思議なことですが、まるで童心にかえったかのように、
宇宙自然の大きな生命の営みも見えてくるはずです。
ここで聖人君子を気取って、
「わが命は神の御手にあり」
「則天去私」などと
あきらめの境地に誘われてはなりません。
よく、昔の闘病小説を読んでいると、
まるで般若心経の「色即是空」を悟ったような
末期患者の光景が涙ながらに描かれることがあります。
「あらゆるものに実体はなく、
それ無常というものです。
もうこだわることはよしました」などと
患者が漏らす…
これこそ絵空事の人間模様でしょう。
ガンになるか、ならぬかに係わらず、
人間はそれぞれに寿命の尽きるときが必ずありますから、
その直前に観念したり、悟ったり、
本気で神に祈っても遅くはないはずです。
しかし、ガンになったからといって、
日々、命のこだわりを捨ててはなりません。
精神集中が大切だといっても、間違っても、
あわてて、あの世の精神世界に走ることはないですよ。
こんなことをいうと
乱暴な無神論者のように聞こえるでしょうが、
僕はサムシンググレートやグレートマザーを信じる、
いささか、ずぼらな汎神論者の類でもあります。
まあ、物心ついた頃、日本は戦争に敗れ、
物心両面で荒廃の真っ只中にありました。
米国の軍事占領下にあり、
いまの若者には信じられないでしょうが、
米軍の兵士たちが、ノミやしらみまみれの僕たちの頭に
DDTの消毒薬を振りかけ、
また、一方では紅毛碧眼の宣教師が
日曜学校を開き、聖書の一節を
「In the beginning was the Word,And the Word was with God」
などと英語で教えてくれていた混沌の時代です。
老若男女が、皆、日々の一切れのパンだけでなく、
何か精神的なよりどころを求めていた時代でもありました。
僕にしても、両親がキリスト教の信者であったせいでしょう。
なんの疑いもなく神の存在を知らされておりました。
とくに大学教授の父親は学問研究のためとはいえ、
神主の免状までもっていましたから、
なんとなくサムシンググレートや
グレートマザーといった精神世界は
幼い現実世界と同居していたわけです。
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