元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第135回
あなたの生甲斐は何ですか?

僕と同じように食道ガンを切らずに治している
作家の倉本四郎さんと、
「命とは授かるものではなく自分で拾うものだ」と
話したことがあります。
医師任せではなく「患者が主治医」「自分で命を掴む」ことが、
人生や余生に対する、
前向きな気持ちを沸き立たせるものだと思います。
これが「スローヘルスな健康法=しなやかな処世術」の
基本ではないでしょうか?
決して「医師は神様」と誤解してはなりません

よくセミナーなどに行くと
「関根さんの生甲斐は何ですか?」
と闘病仲間の患者さんからよく質問されます。
「ガンが人生の知恵を教えてくれたと感謝して、
次の5年間をさらに前向きにしたい。
自分にも人にも役に立つ人生を心がけていきたいと願っています」
といささか殊勝な答えを返しています。
闘病や命についての抹香臭い話は嫌いなのですが、
それでも大事故大病から生還した人ならば、
大抵の人が「サムシンググレート」といった
自然万物の大きな力に生かされている…
そうした命の実感を持つはずです。
「大河の一滴」「神の摂理のままに」といった
宗教的な悟りとして捉える人もいるでしょうが、
疼痛と不安の中でいっときでも
「授命」の気持ちを感受したならば、
さらに前向きに「命を拾い」に行く、
こうした心持が大切だと思います。
仏教に「すべてが他人」ではなく、
「すべてが自分」の大切さを説く教えがあります。
命は拾いに行くものと考えれば、もっと納得の行く治療、
しなやかなと人生を掴むことが出来るのではないでしょうか?

闘病を通じての命の謎や生甲斐についても、
医学だけでなく、宗教・哲学・超物理学などの本を紹介しながら、
後の章で考察してみたいと思いますが、
幸運にも5年の延命を得たわが身としては、
さらに次の5年間のために一つの聖句を噛み締めております。
「〈一粒の麦〉がもし地におちて死ななければ 
それは一つのままです。
しかし、もし死ねば豊かな実を結びます」
(ヨハネの福音書 12:24)
と聖書にあります。
自然共存や身土不二にも似た譬えでしょう。
また宇宙の神秘や遺伝子の謎にも迫る言葉でしょう。
なぜ人間が「命を授り」
そして「命を拾う」生き方を貫くべきなのか?
わが命と大きな命の繋がりを如実に言い表した
奥の深い言葉とは思いませんか?
〈一粒の麦〉はスローヘルス=しなやかな処世術の基本だと
僕はポジティブに考えています。


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2003年1月9日(木)

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