元週刊ポスト編集長・関根進さんの
読んだら生きる勇気がわいてくる「健康患者学」のすすめ

第53回
なぜ、ガン爺がチベットで「哲学」してみたくなったのか?

幻の桃源郷・シャンバラを求めてひたすら4輪駆動車を飛ばす…
霊峰の遥か彼方の青空にわが心身を映す…。
東京の喧騒の中で、曼荼羅や瞑想の話に熱を入れたりすれば、
それは、いかがわしい新興宗教の信者のように
間違われそうですが、
どうしてどうして、チベットの旅は、
どんな大病院の心身治療より
ストレス発散に効き目があるように思いました。
次元を超えた命の息吹きがフワーッと脳裏に蘇ってくるから
魅力があるのではないでしょうか?

せっかく高山病もモノともせず、
運気溢れる世界まで来たのですから、
僕のささやかな宗教体験についても話しておこうと思います。
もちろん、チベットの首都ラサも
中国政府の西部大開発政策で町並みは俗化し、
インターネット.・カフェも
1時間5元(約75円)で手軽に使えますから、
東京との情報交信もリアルタイム。
しっかり情報社会に組み込まれています。
しかし、この聖地に立つと、
柄にもなく哲学的な思考を取り戻すから不思議ですね。

たとえば、山河を吹く風にも水にも意識があり、
大脳の奥が快くそれに共鳴する。
それは一体なにか?
きっと、人間の命も意識も
天然自然いや宇宙の生命システムと繋がっているのだ…
もし、東京や大阪の喧騒の中にいれば、
こうした悠久な発想や体感はなかなか持ちにくいでしょうね。
しかし、この数千年、「輪廻転生」を説く仏教ばかりか
キリスト教にしてみても
「肉体は死しても永遠の命は続く」といって、
肉体の生死を越えた高次元のサムシング・グレート、
つまり神や仏の住む精神世界をアピールし、
やむところがないわけです。

輪廻転生や神託を麻薬だ、毒だとする共産主義にしても
どうなのでしょうか?
いま中国の支配下にあるチベットですら、
わが身を「五体投地」して大地に投げ出し、
ただひたすら、競うようにして寺院を巡礼する信者たちの
崇高にして貪欲な?意識を
根こそぎ摘み取ってしまうわけにはいかないでしょう。
きっと、宇宙自然の生命エネルギーの偉大なる流れに、
多くの人間たちが、過去・現在・未来の
己の姿や命を投影したいと思っているのでしょうね。


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2002年10月19日(土)

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