中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3527回
老齢化社会をはじめて意識したのはウィーンでした

もう30何年も前のことになりますが、
家内と3人の子供を連れて
ヨーロッパ旅行に出かけたことがあります。
日本でも家族連れの世界旅行をする人が
ほとんどなかった頃のことです。

どうして私が家族旅行を思い立ったかと言いますと、
私は24才の時、時の台湾政府にたてついて香港経由で日本に亡命し、
24年間もパスポートなしで暮らしていたところ、
1946年に台湾の国民政府が国連から脱退して
国がひっくりかえるような大騒ぎになり、
民心の安定のために
かつてのお尋ね者だった私を迎え入れてくれたからです。
私はその間、パスポートがないために
日本から一歩も出られなかったのですが、
台湾駐日大使館から私のところへ
中華民国のパスポートが届けられたので、
そのパスポートを持って
私も家族も世界中どこにでも
旅行に出かけることができるようになったのです。

どこにでも出かけられると言っても、
国連から脱退した中華民国を
国として認めなくなった国もたくさんあるので、
同じヨーロッパでも国によって入国査証をもらう必要がありました。
それでも24年間の空白をとりかえすべく、
私は毎年のように世界中をあちこち旅行してまわるようになり、
家族にも埋め合わせをしてあげなくてはと思ったのです。

或る年、先ず東京を発ってパリで飛行機を乗り換えて
ウィーンに向いました。
ところがエア・フランスの手違いで私たちの手荷物が届かず、
早くも真冬の温度まで下がっていたウィーンで
セーターを身につけることができず、
家族が揃って風邪をひいてしまいました。
ぶるぶる震えながら、ホテルを出て公園を歩いていると、
ベンチというベンチに坐っているのは一人残らず老人でした。
私はまだ50才に手が届いたばかりで
老人の意識がなかったせいもあって、
「大へんだ、老人の国にまぎれ込んでしまったぞ」
と思わず心の中で叫んでしまいました。
これが老齢化社会を私が強烈に意識した第一歩でした。
10年か20年遅れるだけで、日本も今にそうなるぞと思ったのです。


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2009年11月5日(木)

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