第3195回
私が株の情報誌をつくらなかったわけ
今回の世界的な株安で世界中の多くの人が
財産の目減りにあっています。
ウォーレン・バフェットさんといえども
例外というわけには行かないでしょう。
下げたと言っても売ってお金に換えない限り
損をしたことにはなりませんから、
辛抱強い人にとっては
列車がトンネルの暗闇の中を通過中というだけのことです。
別に驚きあわてる程のことではありません。
ただ人のお金を預って投資する事業に従事していると、
色々と難題を持ち込まれるので
その対応をするだけでも容易なことではありません。
いまから半世紀近くも前のことですが、
私が株の世界にはじめて足を踏み入れて
「成長株」という考え方を披露した頃、
私が週刊誌に私の訪問した会社をとりあげると
必らずその会社の株がストップ高をしたので、
たちまち「神様、佛様、邱永漢様」と
冷やかし半分のどっこいしょにあって、
講演をすると演壇の脇まで聴衆で一杯になるほど人が集まりました。
「株の情報誌をつくりませんか」とすぐにも誘われましたが、
私は全く気乗りがしませんでした。
「週に一ぺんでもどの株を買うか、情報を流して下されば、
私たちは月に1000円払います。
1千人でも100万円、3千人なら300万円、悪い話じゃないでしょう」
と言われました。
それに対して私が全く反応しなかったのは、
一つの株が大きな相場を迎えるのには2年か3年かかる、
仮りに1年だとしても、
少くとも1年間は毎週同じ株を取り上げる必要がある。
それでは読んでいる方だって耳にタコができてしまうだろう。
では毎回、違う株をとりあげたらどうだろう。
毎週違った株をとりあげればとりあげるほど
当らない確率が多くなります。
しまいには身近な信者からまでバカにされることになります。
そう言って株の情報誌をつくる話には
只の一回も乗らなかったのです。
「ハイQがなぜ只なのか」おわかりいただけたでしょうか。
只でも文句を言う人は結構いますけれど。 |