中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第3190回
なぜ私が独立運動をあきらめたか

その私がどうして台湾の独立運動を断念したかというと、
アメリカが「2つの中国」を打診した時、
蒋介石が「大陸反攻」に固執して
国連を脱退する道を選んだからです。
アメリカをバックに国民政府がソ連をバックにした中共と、
南北朝鮮のように対立を続ければ、
いつか蒋介石について
台湾に大量移民してきた人たちが死に絶えて、
もしくは台湾の人たちに同化されて
2つの国になる可能性があります。

しかし、台湾が国連から脱退して「アジアの孤児」になれば、
そのうちに中華人民共和国が強大になって、
いつかは台湾がその配下にくだることは
避けられなくなります。
その時、もし台湾が経済成長して工業先進国になっておれば、
国際的な評価も違うし、対等の話合いもできるわけですから、
台湾が生き残る唯一の方法は経済先進国の仲間入りをすることです。

そう考えたので、国連脱退後の台湾からお使いが3度来た時、
私は台湾の経済建設にいくらかでも力になればと思って
24年ぶりに故郷の土を踏むことを承知したのです。
日本の共産党の新聞では
私が国民政府の軍門に投じたと報道されていましたが、
要人たちが逃げ支度をはじめた政府と話し合いをつけるのを
「軍門に降る」と日本語では言うのでしょうか。

24年ぶりに台湾の土を踏んだ私は
小野田少尉並みの大歓迎を受けましたが、
私は台湾のお役人たちが唯一、
大新聞の批判をおそれているのを見て、
台湾の大新聞で週に1回、
台湾の経済政策を論評する連載をやりました。
当時、台湾の大蔵大臣(財政部長)をやっていた李国鼎さんに、
「邱先生、ご自分の意見になさらないで、 
日本ではこういう具合にやっていると書いていただけませんか。
さもないと邱先生の言っている通りに
やっていると私が批判されますから」
と言われたこともあります。
でもその頃から台湾は「アジアの四匹のスモール・ドラゴン」
の1匹ということになって
1人当り700ドルの国民所得から
1万6855ドル(2007年度)の国民所得まで大成長を遂げたのです。


←前回記事へ

2008年12月3日(水)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ