第2520回
地方の時代はもうとっくの昔に終りました
生産会社の工場が大都会周辺から地方都市に移動したということは、
工業生産による付加価値の創造は
どこにでも移動するということを意味します。
したがって地方に移転するということは、
条件次第でまた別のところに移動するということでもあります。
ですから、工場立地が大都市周辺から地方都市に移動したことは
そう手離しで喜べることではありませんでした。
しかし、現実にそれが起って見れば、
地方にいても仕事にはありつけるし、
大都市に負けないだけの収入があれば、
商店街だって、横町の飲み屋だって息を吹きかえします。
市役所だって、村役場だって、税収はふえますから、
それぞれに気前よくなって美術館を建てたり、
立派な公共施設をつくるところが現われます。
何もこんなことまでやらなくともと思いたくなるような
お金のバラまきも全国的に見られました。
しかし、実はその時が「地方の時代」の黄金時代だったのです。
日本の賃金は
もはやこれ以上の生産性の上昇は難しい
という水準にまで達していましたし、
そこへ低賃金で競争をいどみかける新しいライバルが現われれば、
本社の目が地方を飛びこえて、
海外に移ってしまうことは避けられなくなります。
既に韓国と台湾が日本のライバルとして
大きく頭角を現わしていましたが、
そこへ中国が共産体質を脱皮しながら登場してくるとなると、
何せ日本の30分の1の賃金水準ですから、
自分たちが進出しなければ、
ヨーロッパ、アメリカ勢にお株を奪われるし、
日本の同業者に出し抜かれる心配もあります。
地方工場と
その30分の1の賃料で労働力の確保のできる中国の工場と
どちらを選ぶかということになると
存亡のピンチに立たされることは避けられなくなります。
その時点で、日本の「地方の時代」は既に終わってしまったのです。
私はそのことを20年も前に本に書きました。
でも地方の自治体が気づくようになったのは、
多分、夕張市の財政危機が表面化してからではないでしょうか。
「遅い遅いもう遅い」
という唄のセリフをついつい思い出してしまいます。
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