第2521回
知事の汚職は「地方の時代」の晩鐘
地方の時代がもう終ってしまったことは
県知事の汚職事件が
次から次へと摘発されているのを見てもわかります。
地方自治体にはそれぞれに税収があり、
それによって賄われる予算があります。
予算のあるところには大なり小なり汚職が発生します。
収入がふえる方向にあった時代は、
少々の不正や無駄費いがあっても見逃がされます。
しかし、緊縮財政を強いられるようになると、
公共予算の奪い合いが激化しますから、
お互いに監視の目がきびしくなります。
いままで大目に見られていた権力の濫用も許されなくなります。
ところが、お金を集める苦労がなく、
お金を使う役目だけ受け持ってきた知事たちには
そうした変化に対して鈍感ですから、
時代の変化に対応できないのです。
選挙にはお金がかかります。
再選を目指す知事たちは、
自分を支持してくれる
地方ボスとの関係づくりに余念がありませんから、
これまでと同じことを続けます。
それが刑事事件になって
次から次へと公表されるようになったのです。
まるで日本国中の知事が、
公金濫用の悪党ぞろいに見えてしまいますが、
実際はどこの地方自治体でも行われていることであり、
それでいままで通用してきたのです。
しかし、「地方の時代」が終ると、財政困難が表面化しますから
「坊主多くして粥少し」という現象が起ります。
するといままで大目に見られていたことも許されなくなって、
タガのゆるんだ桶がバラバラになるような現象が
続発するようになりました。
知事でもベテランの古顔ほど
司直の網にひっかかるようになってしまったのです。
とうとう芸人あがりの知事まで登場するようになりましたが、
これで地方に新しい息が吹き込まれるわけではありません。
国境の壁が崩れて、
ヒトもモノも自由に国境をこえて動くようになると、
「地方の時代」の終わりはいよいよ明確な形になります。
地方都市の駅前商店街のデパートやスーパーのシャッターが
どのくらい閉まったまま開かなくなったかを見れば、
世の中がその方向に向っているかがわかります。
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