第2271回
思いもかけず食の大先生に
のちに私の書いた
「食は広州に在り」という食べ物随筆は
丸谷才一さんから、
「戦後、書かれた食べ物に関する三大名著の1冊」として、
檀一雄さん、吉田健一さんの本と並んで激賞され
ロングセラーズとして今日に至っていますが、
全く無名だった私が直木賞の審査員たちから認められたのも、
あの時の先生方が
あまカラの私のエッセイを読んでくれていたからだ
と耳打ちされたことがあります。
半年か1年の積もりで書きはじめたのが
大好評ですとあまカラの編集長におだてられ、
とうとう1冊の本の分量になるまで書き続け、
個性の強いことで右に出る者のない
龍星閣のご主人沢田伊四朗さんから
「うちから出版しませんか」と誘いをかけられました。
沢田さんは高村光太郎の
「智恵子抄」の出版でロングセラーズをやり、
印税のことで
著者の遺族たちと裁判沙汰にまでなっていましたが、
私の場合も「印税は無し」という条件をつけられました。
でも「龍星閣から声をかけてくれただけでも大へんなことですよ」
と薄井さんから説明を受け、
「食は広州に在り」の初刊は
龍星閣から出版することにしました。
この初刊本、いまでは絶刊の稀覯本になり、
大変な値を呼んでいるそうですが、
私の3回にわたる全集にも必らず再録され、
中公文庫でいまなおロングセラーズの1冊になっています。
また「食は広州に在り」の連載が終わっても
「あまカラ」誌は私をつかまえてなかなか離そうとせず、
とうとう続編として「象牙の箸」「食前食後−漢方の話」
と10年にわたって書く破目になり、
遂に押しも押されぬその道の大家
ということになってしまいました。
その後、私が書いた食べ物エッセイには
「奥さまはお料理がお好き」
「邱飯店のメニュー」
「食指が動く」
「旅が好き、食べることはもっと好き」
「中国の旅、食もまた楽し」
などがありますが、
一番最後が昨年出版された中央公論新社刊の
「口奢りて久し」です。
思いもかけないことがきっかけになって、
食べ物の大先生ということになってしまったのです。
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