中国株、海外起業、海外投資、グルメ、ファッション、邱永漢の読めば読むほどトクするコラム

第2240回
栗田工業とは創業期につきあいました

昭和30年代の半ば頃から、私は株に関心をもつようになったので、
日本の産業界の動きに氣をつけるようになりました。
当時の株のプロたちは相場の動きには敏感でしたが、
人々がどんな生活用品に興味を持ち、どんなことにお金を使い、
それが日本の産業界にどんな影響をあたえるかは
神経を使いませんでした。
それに対して、私は社会生活の変化がどんな業界を成長させ、
どんな企業を大企業にするかを頭に描いて
株式市場の未来図を組み立てたので、
いまに日本人が魚肉ソーセージを食べるのをやめて
本物のハムやソーセージを食べるようになるだろうとか、
仕立屋に行ってセビロをオーダーする代わりに
レディメードの洋服に身体の方をあわせるようになるだろう
と考えて、徳島ハム(いまの日本ハム)や
樫山オンワードという名もなきニューフェイスを
推奨したことがあります。

同じ目で産業界を見渡すと、
まだ石油化学も自動車ブームもはじまったばかりでしたから
石油化学や自動車は
どのメーカーがチャンピオンになるかはわかりませんでしたが、
ガソリンやプラスチックなどの素材をつくる工場の
設計施工をする会社は
一足先にお金をもらう立場だから、いいだろうと考えて、
千代田化工という誰も知らない会社に投資する決心をしました。
友達を20人ほど集めて、
毎月2万円ずつ金を出し合わせて、
月の初めの値で買えるだけ買い、
増資の月は払い込みのために買い付けをやめて
増資に応ずることにしたのです。
5年計画でしたが、
半分たったところで飽きがきて解散しました。
自分の貰い分を売って家を買った人もありましたが、
のちにその家を6千万円で売って養老院に入った人から
お礼の手紙ももらいました。
成長の時代は成長株買いに限るという実証をしたようなものです。

同じ時期に、私は水処理の必要にすぐ氣がつき、
当時やっと上場にこぎつけたばかりの栗田工業を訪問し、
栗田春生というとても豪快で魅力のある創業者と
目と目がふれただけですっかり仲好しになりました。


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